私はプロレスそのもののファンではなく、漫画・アニメの「タイガーマスク」から入ったものです。それも作品登場当時からの読者・視聴者ではなく、もっと後の時代に「キン肉マン」や「北斗の拳」で育った世代で、大人になってから読んだ「タイガーマスク」「あしたのジョー」「空手バカ一代」「プロレススーパースター列伝」などの漫画の面白さに惹かれたのです。
キャノン娘
そのうえで、「タイガーマスクW」についてはやはり2010年代という時代の流れの末に昔の雰囲気から大きく変わったのだなと感じ取れる部分が数多くあります。
まず、虎の穴が「とにかく凶悪な最強のレスラーを輩出するのだ」という事のみに打ち込む道場のような雰囲気では無く、一企業、一プロレス団体として、客の入りを気にする立場に変わっていたこと。
これは虎の穴レスラーを他団体の試合に貸し出す純粋な養成機関としての営業形態から、GWMというプロレス団体を経営するようになったという根本的な変化もあるのですが、かつての虎の穴は巨大なマフィア「虎」の一部として、レスラー養成だけでも莫大な収益をあげることができていました。それほどプロレスの人気が高く、動く金の規模も巨大な時代だったのです。 それが今では団体も多くなり、虎の穴レスラー貸し出しだけでは駄目で、昔のように他団体(ジパングプロレス)のレスラーを潰してみたら悪評を買ってしまい三年間日本から撤退。再度日本に乗り込んで来て、巨大なドームを作ってみてもタイガーマスクが来ない試合は客席がまばら……と、「力で叩き潰すだけでは客が来ない」という現実に悩まされる虎の穴というのは、視ていて大変面白い姿でありました。激務をこなすミスXには共感や敬意を感じてしまうほどです。
次に、序盤で消えると思っていたオーディンについて。
「この戦いに勝てば虎の穴から解放してやる」という条件を突きつけられて、それに勝ち抜き、約束通り解放された人物は、彼がタイガー史上初ではないかと思います。以前までなら、そうした条件のもとで戦っても結局試合に負けて処刑されたり、虎の穴から解放されるためには、虎の穴という組織自体を壊滅させるしかありませんでした。「こうしたら解放してやる」と言って、成功したら本当に解放してくれる悪の組織というのは極めて珍しい。このオーディンの存在も、虎の穴が初代タイガーの時代から変化している(厳しい見方をすれば、組織として甘くなっている)ことの証です。なんとなく匂わせてはいるものの、試合に負けたために殺されるレスラーも「タイガーマスクW」ではいませんでしたね。やはり育てた人材をばたばた殺していては経営が成り立たないのでしょう。
タイガー・ザ・ダークについて。
第二の主人公という立場でしたが中盤でやられてしまい、リハビリの間は戦いに参加できず。そんな彼が最終回よりも前にザ・サードを撃破するという展開は驚きました。タイガーマスクとザ・サードの最終決戦より前に、ザ・サードが一度倒されるのです。この展開は予想できず、斬新なものだと思います。たいてい第二主人公というのは、最終決戦の前に敵にやられて主人公に後を託すのが定番なのに。ダークをただの噛ませ犬にさせず、きちんと活躍の場を与えてくれた製作スタッフは素晴らしい。
主人公であるタイガーマスク、東ナオトについて。
伊達直人と比較すると、刺客を送られて命を狙われるという緊張感も無く、孤児の救済という社会的なテーマも無く、キャラとしてはずいぶんと薄い。そこで震災の被災者という設定を付けて、重みの足りなさを埋めようとしても、その境遇に対して何かしようとするわけでも無いので、伊達直人と比べてしまうとずいぶんと落ちるという印象です。 それでいて、作中では昔のタイガーを知る老人に褒めさせていて、「視聴者が褒めてくれないので作中の人物に無理矢理持ち上げさせる」という構図は好きではありません。
伊達直人は自分が生き延びるため、身を守るために虎の穴と戦いましたが、東ナオトは恩人の復讐のため、攻めに打って出る姿勢で虎の穴と戦います。また、伊達直人は社会奉仕のために生きておりプロレスはそれを金銭的に叶える手段でしたが、東ナオトはプロレスが好きでリングに上がっています。
虎の穴との戦いは悲壮感こそ減りましたが、より積極的な姿勢になり、プロレスというものへの向き合い方は「他者を助けるために背負う苦難」から、肯定的に自身が求めるものへと変わりました。この点で東ナオトは伊達直人と全く同じ事をさせるために創られたキャラクター「伊達直人二号」では無く、全く違った人生を歩む人物として設定されたものと思います。(この点は、明らかに「前任者の再臨」を求められたタイガーマスク二世と違いますよね)
50年という月日が流れ、虎の穴も変わり、タイガーマスクも変わりました。虎の穴が観客の人気を得るためにタイガーマスクを起用するという事までやっています。この大きな変化を経て、「伊達直人二号」ではなく「東ナオトの物語」を描いてくれたことがタイガーマスクWの大きな意義だったと思います。
しかし、残念だったのは、せっかく伊達直人が生きているアニメ版の続きであったのにアメリカに渡った後、伊達直人はどうなったのか、ほとんど語られることが無かった事
です。アメリカでレスリングを続けたのか。あの当時の虎の穴なら「対戦者を殺した」というくらいはごろごろしています。タイガーマスクとしては無理でも別のリングネームでなら可能だったのではないか。数年したら帰国はできたのか。帰国したとしたら、親日と全日に分裂した日本のプロレスでどちらに参加したのか。それらの事が全く語られなかったのは、いったい何のためにわざわざ続編を作ったのかと思ったほどです。
しかし前作から50年の間に、当時のファンたちは様々に想像をしていたことでしょう。様々な人の様々な思い入れを、50年後になって突然作られた「公式設定」で潰してしまわないように、あえて伊達直人については各自の想像に任せるという方針だったのだと思います。この点でもやはり、タイガーマスクWは伊達直人について語る作品では無く、東ナオトのための物語でした。
他、高岡春菜の母親はどうしているのか。母親は高岡洋子なのか。健太はどうしているのか。ミスターXは初代ミスターXとどういう関わりがあるのか。血縁者か?など、語られてしかるべきなのにあえて語られていないという部分が散見されます。これらも同様に、ファンの想像の積み重ねを大切にしてくれるための事だったのでしょう。高岡拳太郎が現役時代にどのようなレスラー人生を送ったのかも興味深いところなのですが、やはり明かされることはありませんでした。
最後に、初代タイガーマスクの物語は漫画版・アニメ版とも悲劇で幕を閉じますが、「タイガーマスクW」は、新たな団体の設立と、二人の主人公の新たな地での戦いという未来を描いて終わりました。アニメ番組は終了しても、彼らの戦いは続いて行きます。
何より虎の穴が滅んでいません。これまでのタイガーマスクの戦いの中で恐らく一度も無かった、「虎の穴が存続したまま番組終了」となった作品なのです。ザ・サードは敗れましたが、命を落としたわけではなく、チャンピオンベルトを奪われただけ。GWMは、日本から撤退しましたが、本拠地アメリカでは、運営好調のはずです。東ナオトがザ・サボテンと組んでメキシコで戦っているのも、メキシコプロレス界をほぼ手中に納めているGWMとの戦いになる事は間違いありません。
東ナオトの戦いはこれからも続いて行く。その気になればいつでもアニメの続編を作ることができる。その余韻を残していった「タイガーマスクW」は、新たな夢を未来に繋げていく物語でした。もしかしたら、もう50年後にまだ見ぬタイガーマスクが生まれるかも知れない可能性を繋げて。