第11話のサブタイトルは「世紀のWリーグ戦」。現実に行われた第10回ワールドリーグ戦にタイガーマスクが参戦するという趣向。原作漫画では、参加選手が実名で表記されるが、テレビアニメは、外人選手が假名になっている点で迫力を缺く。ただし、このワールドリーグ戦は、この後に割り込む、虎の穴主催覆面ワールドリーグ戦のまえふり。前哨戦というところ。優勝候補のジャイアント馬場、キラー・コワルスキーを追って、タイガーマスクが善戦しているという程度の描き方が原作漫画で、分量は月刊誌連載一回分に過ぎない。翌月からは、覆面ワールドリーグ戦が始まる。時系列にしたがって話を戻すと、アニメ化企画は、この時期にスタートする。2クール26話を目標とし、人気が上がらなければ、覆面ワールドリーグ戦でのタイガーマスクの優勝をもって、完結させる予定だった。もう一度確認しておくと、「タイガーマスク」第一回が掲載された月刊ぼくらの発売日が昭和42年12月1日。アニメ「タイガーマスク」の第1話が放映されたのが、昭和44年10月2日。原作漫画が描かれているときにリアルタイムであった第10回ワールドリーグ戦が、アニメでは、二年遅れて描かれる。26話で完結していたら、矛盾は起こらなかったのだが、アニメ「タイガーマスク」は2クール以降も続行する。そして、毎週放送されるアニメは原作漫画の進行を追い越す。第12回ワールドリーグ戦になると、現実と漫画とアニメがパラレルワールドのように別れてしまう。「タイガーマスク」を語るときには、この混沌を整理していかなければならないのだ。
覆面ワールドリーグ戦は第23話から描かれる。それでは、第12話から第22話までの11週をかけてワールドリーグ公式戦が詳細に描かれたのかというと、さにあらず。アニメ版スタッフによって原作に無いテレビ版オリジナルストーリーが作られる。詳細に語られるのは、ワールドリーグの勝敗経過ではなく、ちびっこハウスの日常や、巡業先での伊達直人の自由時間であった。華やかなワールドリーグの盛り上がりを視聴者に刷り込んでおいて、一転、悪夢の覆面ワールドリーグに持ち込むという原作の意図からすると、疑問を呈したくなる期間である。この11週間は、3クール以降のアニメ版「タイガーマスク」の方向性を決定するための迷走だった。結果論としてはこう言える。
第12話「誰のためのファイト」巡業地の大阪で「やまびこ園」の孤児と出会う。原作では「希望の家」以外に他の孤児院の場面は描かれなかったが、アニメでは、伊達直人とみなしごの出会いからドラマが始まる回が何本もある。第13話「恐怖の地獄作戦」原作では、覆面ワールドリーグに参戦するザ・スカルスターとミスターシャドーがここで登場する。どういう判断があったのかわからないが、ワールドリーグ開催中、参加選手のタイガーが、虎の穴レスラーと戦うことは不自然である。第14話「秘密特訓虎の穴」アニメオリジナルレギュラー大門大吾が創造される。伊達直人の虎の穴における同期生。レスリングの実力は伊達直人より上で、コーチに抜擢されたという設定は秀逸。第15話「傷だらけの勝利」大門大吾が虎の穴を脱走。日本に潜伏し、影となって親友直人を守る決意をする。第16話「敗北の虎」スカルスターとシャドウの正体、ロッキーとリコが伊達直人暗殺の命令を受ける。この二人が伊達直人の同期生という設定は原作通り。二人とも失敗して死ぬ。間接的な描かれ方をしているが、間違いなく伊達直人が殺したのである。なお、サブタイトルにある敗北の相手はアントニオ猪木。タイガーと健太の落胆する姿を見せられるが、猪木と試合をして負けることが屈辱だとは思えない。第17話「目ざめた虎」ちびっこハウスのチャッピーが、町の実力者の息子の運転する自動車にはねられる。プロレス場面無し。第18話「宿命の対決」虎の穴に捕まった大門が、拷問に屈しタイガーマスクへの刺客となる。試合後、逃走し潜伏生活に戻るのだが、番組が2クール以降も続くことがわかっていたのなら、ここで二人を対戦させる必要はなかった。
第19話「試合開始2時間前」うそつき少年を追って貧民街に迷いこむ。この少年の身辺事情にかかわっていたことで試合開始時間に遅れそうになったタイガーマスクは、クズ屋の軽トラックに乗って体育館に直行する。荷台に立って虎のマントをはためかせる絵は非現実的だが、東映動画のスタッフは、タイガーマスクが貧乏で差別される側の味方であることを象徴させたのだ。第20話「虎の穴の影」母親が見つかったというしらせに喜んだのも束の間、それが間違いだったとわかり泣き崩れるヨシ坊。この回の興味は、覆面レスラーブラックジャガーとタイガーマスクの試合だが、アニメスタッフは公式戦ワールドリーグ開催期間中であることを完全に忘れている。また、ちびっこハウス一同を帯同して遊園地で遊んでいる伊達直人を虎の穴に狙わせるという間違いを再びやっている。伊達直人がタイガーマスクであることを明かせない理由の第一が、ちびっこハウスの安全を守るためなのだ。第21話「復讐の赤い牙」オリジナルエピソードの白眉である。ジャック・ブリスコの弟マイク・ブリスコが復讐のために日本へやってきた。全編このキャラクターの性格と行動を描くことに終始し、成功している。菊池俊輔がウェスタン調で作ったというBGMが、アメリカから来たマイク・ブリスコに似合う。第22話「明日への挑戦」漁業不振の漁師町を出て東京へ行こうとする青年を、伊達直人が引き止める話。プロレスラータイガーマスクが何故、漁業問題にまで首をつっこまなければならないのかということだが、平均年齢の若いテレビアニメクリエイター達にとって、現実社会で起きている問題は全て無視できないことだった。作品を作ることとは解決方法を提示すること。あるいは体制に抵抗すること。それほどの気概があった。これは、高度成長期の青年層の風潮でもあった。
毎週放送のアニメは、すぐに連載漫画を追い越すと簡単に書いたが、当時の東映動画のスケジュールでは、30分アニメの製作に2ヶ月をかけていた。1ヶ月に4話放送するとするなら、8班編制できればよいのだが、「タイガーマスク」では、5班で進行させていた。無理な作業であった。もともとストーリーアニメを毎週製作しようというのが無理な話だった。手塚治虫という超人的な天才にして実現可能な仕事なのである。(しかも、手塚は連載漫画までかかえていた。)実際は分業で行われているが、一人のアニメーターが一枚のセル画を下書きから彩色までをこなした場合の所要時間は2時間。複数の登場人物が格闘を演じる場面となるとさらに時間を要する。プロレスシーンよりも、人物描写や日常場面に時間をかけたことで、アニメ版「タイガーマスク」は後年まで、高い評価を残すことになる。しかし、実情は、アクションシーンを減らすことでスケジュールを守ろうとするプロデューサーの意図があったのではないかと勘繰れるのだ。
前項で重要なことを書きもらしている。嵐虎之介の登場である。タイガーマスクは、ワールドリーグ戦の参加選手に推薦されたが、これを辞退する。理由は、反則技が身についている自分が出場すれば、日本プロレスの名誉を穢す結果を招くからだと言う。推薦者のジャイアント馬場は、一計を案じ、柔道家嵐虎之介十段にひきあわせた。原作に無い場面である。このキャラクターもアニメオリジナルである。斉藤侑プロデューサーの発案で、吉川英治の「宮本武蔵」における沢庵禅師を意識して創られたという。主人公が強さを追求していくだけでは殺伐としていくので、到達すべき精神の方向を指し示す存在が必要になったのだ。キャラクターデザインは木村圭市郎。白髪白髯の痩せた老人として描いた。総髪を長く伸ばした風貌は、晩年の塚原卜伝をイメージしたものか。赤い陣羽織は宮本武蔵の自画像からとったのだろう。斉藤も木村も一話限りの登場人物のつもりでいたが、3クール以降のレギュラーになってしまう。創造者の手を離れて作品世界に実在したのだ。初登場第12話の時点で、嵐虎之介はタイガーマスクを評して「フェアプレーを意識して試合をするいまの君よりも、黄色い悪魔と呼ばれていた頃の方が闘魂に満ちて活力が感じられた」と言うのだ。“黄色い悪魔”を肯定することは、原作者とアニメスタッフがタイガーマスクとともに戦い続け模索した末、最終回間際に気がついた結論なのだ。だれも知らない真実をこの老人はどうして看破したのか?
第23話から原作に戻る。アニメでは中断していたワールドリーグ戦が佳境を迎えつつある。伊達直人はちびっこハウスにプールを寄贈した。若月が買い戻した敷地は、直線距離15メートルくらいのプールを作れるほど面積に余裕があったことが知れる。また、タイガーマスクがスターレスラーであり、その人気に応じた収入を得ていたこともうかがえる。この描写は、タイガーマスクが有名選手になっていることと、ちびっこハウスに関する問題は解決したことを認識させるためのものである。このプールもその後画面に描かれることは無かった。
ワールドリーグの巡業先で、伊達直人は県立の孤児院「希望の家」を訪問する。交通の便の無い山中に古い舎屋が建っていた。敷地はほとんど畑になっている。孤児らが、自ら野菜を栽培し不足しているビタミンを補うためである。伊達直人は朽ちかけた門の前で足をとめた。想像できるのは、貧弱で粗末な耐乏保育である。ここで直人は、カラーテレビ、野球用具などの備品が充実し、プールまであるちびっこハウスとひきくらべる。ちびっこハウスのみなしごだけを高度経済成長期の日本の子供の生活水準にまで引き上げたことで満足していた自分を責める。(原作漫画ではタイガーマスクのまま訪れている。そして、有名人として遊んでやろうと考えていた自分の愚かさを恥じていた)「希望の家」だけが特別なのではなく、これが現実であり県立孤児院の標準なのだ。しかし、そこに特別な少女がいた。直人の前にふらふらと歩いてきたちづるは、目が見えなかったのだ。人形を与えると、盲のちづるはその人形の目に興味を向ける。伊達直人(タイガーマスク)は、サンタクロースのような玩具袋をちづるに担わせると、ついに希望の家に足を踏み入れることも出来ないまま、逃げるように走り去る。
ブラックパイソン、ゴリラマン…そして、暗殺計画の失敗。極東地区担当ミスターXは、その責任を負わされ組織内での地位を失墜しかけていた。虎の穴においては死刑にも相当する失態であった。ここでXは、起死回生のプランを上申する。覆面ワールドリーグ戦である。虎の穴のレスラーを集めてリーグ戦を行う。開催場所は、第10回ワールドリーグ戦たけなわの日本。この大会に日本代表選手としてタイガーマスクを参加させる。全試合派手で残酷な八百長反則合戦なのだが、タイガーマスクを相手にしたときだけは真剣勝負。虎の穴の包囲網の中で集中攻撃を受ければ、さすがのタイガーマスクも生きていられないだろう。虎の穴本部はこの計画を採択し、ただちに実行に移す。日本でのプロレス人気は高く、タイガーマスクの知名度は全国的である。そして、虎の穴レスラーは、日本の客の興味と期待以上のハイレベルなプロレスを演じることができる。興業的成功も見込める。問題は一つ。タイガーマスクが参加するか否かだけであった。ミスターXは優勝賞金として10万ドル(当時のレートは1ドル約360円)を用意した。この金額で解決できるはずだと読んだ。
伊達直人は煩悶する。10万ドルが欲しい。それだけの金があれば、あの盲の少女に手術を受けさせることが出来る。しかし、いまワールドリーグ戦を抜けて覆面ワールドリーグ戦に参加することは、日本プロレスへの裏切り行為になるのだ。その前に、虎の穴の罠に挑戦し生きていられる保証が無い。10万ドルか、死か。直人は虎のマスクを手に取り、被る。決心はついた。畢竟、これは運命なのだ。タイガーマスクはリングの上で命を賭けて戦うしかないのだ。
日本プロレスへの裏切り云々について補足しておく。平成23年現在からは想像しにくいほどに当時のプロレスは影響力の大きい人気スポーツだった。タイガーマスクは、その日本プロレス界の人気スターという設定。(実際、アニメの視聴率は30%あり、かなりの知名度を持つ架空人物だった)伊達直人が懸念したように、覆面ワールドリーグ戦参加を表明した翌日からの新聞、テレビはタイガーマスクの決断を批判した。論旨は、子供の人気者であるタイガーマスクが、10万ドルの賞金を理由に、プロレスファンの信頼とジャイアント馬場達との友情を裏切ったというもの。梶原一騎は、東京プロレスの騒動をモデルケースにしてこのストーリーを作ったと考えられる。後輩ジャイアント馬場にトップの座を奪われた豊登が、アントニオ猪木を誘って東京プロレスを旗揚げした。新団体のエースにしてやるという条件に、猪木は乗ってしまったのだ。この密談はアメリカから帰国途中のハワイでまとまったため、新聞は太平洋上猪木略奪事件と書きたてた。国民生活に何の関係も無いプロレス界のゴタゴタであるが、マスコミから裏切り者と言われた猪木当人は、日本国民全てが敵にまわったような心境におそわれた。作品中のタイガーマスクも、全国民の批難を浴びる。東京プロレス事件がぴんと来ないという人は、プロ野球のドラフト、トレードでの裏取り引きや、大相撲の賭博報道などに置き換えるとよい。普段、野球や相撲を見ることのない人までが、選手や協会について意見を述べ始める。ただし、アニメを見ているだけでは、タイガーマスクに対する国民の批判に共鳴できない。11週間原作をはなれ、唐突に戻ってきたシリーズ構成に何箇所かの齟齬が生じているためである。覆面ワールドリーグの開幕前にこの補足を追加した。
覆面ワールドリーグ戦開幕。タイガーマスク第一戦の相手は、ミスターノー。視聴者に強い印象を残した怪人だったようで、「タイガーマスク」を回想するとき、必ず出て来る名物男。印象が強いといっても、ミスターノーは一切言葉を発しない。外見にも華美な装飾は無い。のっぺらぼうなのだ。ただし、首だけが異様に長い。全身をビニールのような人工皮膚で覆っている。その表面にはオイルが塗られているため、タイガーマスクはつかむことすらかなわない。必殺の武器は、長い首の遠心力を利して打ち込む頭突き。この頭突きを喰わされ、強烈な衝撃に意識朦朧となったタイガーは、リング下に転落。ノーもリングから降りて、梯子やゴング等を使った虎の穴得意の戦法で攻め続ける。かつてのタイガーマスクのやり方そのままである。この覆面ワールドリーグ戦は反則自由なのだ。
さて、覆面ワールドリーグ戦はテレビ中継されていた。原作漫画では、日本プロレス協会が関知していないため別のテレビ局が放送することが説明され、アナウンサーも別人に描かれる。しかし、アニメでは、説明もなく、アナウンサーの顔も同じだった。来日第一戦からタイガー・ザ・グレート戦までを実況する、あの人である。ちびっこハウスでも受信していた。いてもたってもいられないのは健太である。「反則自由のルールなら反則はルール違反ではない」という理屈を演繹して、テレビ局に電話をした。このメッセージは放送席に伝えられアナウンサーによって読み上げられる。これがリング下にいたタイガーの耳に届く。あわただしい実況中継のさなかに、子供の意見が、戦っている選手に届くということは実際にあるのだろうか?解釈としては、ディレクターが、このままタイガーマスクがやられてしまったのでは、番組として面白くないと判断したものと思われる。タイガーは「健太がゆるすというなら」と反則攻撃に転じる。正しいレスリング技術を学びなおし、子供等の手本になろうのとした努力の日々を捨てた。10万ドルの賞金を得るためばかりではなく、生き延びるためであった。
反則合戦になれば、ミスターノーなどタイガーマスクの敵ではない。ノーが虎の穴で教えられた反則攻撃の優等生がタイガーなのだ。それにしても、タイガーマスクが“黄色い悪魔”を解放する瞬間のカタルシスはどうだ。その瞬間が描かれるのはアニメ全話を通じて3度だけ。このミスターノー戦、赤き死の仮面戦、タイガー・ザ・グレート戦である。リングシューズのつま先で頸動脈を切るようにドロップキックを連発するタイガー。人を殺せるほどの体力と技術を身につけたとき、大脳は拒絶し、筋肉の収縮に制限を加える。この大脳の無意識の作用を超越できる人が“鬼”とか“黄色い悪魔”などと呼ばれる。アントニオ猪木がその一人だった。タイガーマスクはノーの腕関節を動けなくしておき、首をねじ切ってしまう。長い首と思われていた部分が顔であり、その上に頭部に見せかけた鋼鉄球を載せて人工皮膚でカモフラージュしていたのだった。
二番目の相手は、ドラキュラ。ミスターノーの首をねじ切ったタイガーは、ドラキュラの皮膚を引き裂き、剥ぐ。実は、これも人造皮膚だった。この表面に麻酔薬を注射する毛を植えていた。顔も人工物でそれをざんばら髪で覆い隠すという複雑なギミック。
そして、スカルスター&ミスターシャドー。対戦相手はスカルスターなのだが、試合中、Xが会場の照明を消し、暗闇にまぎれて、真っ黒なシャドーがリングに上がり、二人掛かりで攻める。この二人は、第13話で使っているため、アニメ版覆面ワールドリーグ戦には登場しない。リーグ戦参加選手は、タイガーマスクも含めて7人だけになる。卑劣な二人の正体が、伊達直人の同期生ロッキーとリコであったことが、タイガーに衝撃を与える。続く、対キングサタン戦もアニメでは描かれない。ロッキーとリコの顔を見て、直人が虎の穴時代を回想するシーンに出て来た鬼コーチがその正体だった。
ゴールデンマスクは、入場時まで、中世ヨーロッパ調のコスチュームで装っていた。首のまわりにロザリオのついた衣裳は特に資料を渉猟してデザインされたものではなく、紙芝居のヒーロー黄金バットから拝借したのだろう。辻なおきは紙芝居屋あがりである。ゴールデンマスクという名前を黄金バットに直結させたのだ。ゴールデンマスクに合わせて、他の参加レスラーのコスチュームもデザインされた。ライオンマンは、ナポレオンの肖像画を彷彿させる赤い外套を着ている。この前時代的なイメージが覆面ワールドリーグ戦のカラーとなり、敷衍して虎の穴全体の印象ともなった。自由や権利などといった、現代の法律や発想は通用しないのだ。ゴールデンマスクの仮面はレンズの作用があり、内蔵されたライトの光を増幅して放射する。対戦相手は瞬間、視力を奪われる。凝視し続けたなら失明必至。視線を外すほかない。ゴールデンマスクは、怪光線を発しながら相手に近づき、仮面の顎を開き、鋼鉄の歯で噛み付く。タイガーマスクはリング下に脱し、ゴングで叩き、鉄柱にぶつけ、この厄介な仮面を壊した。中から出て来たのは、ズタズタになった顔だった。タイガーに憐憫の情が起こる。すかさず、レフリーのミスターXが、両者のリングアウト負けを宣告した。場外戦に時間をかけたことを後悔するタイガー。ここで、アナウンサーは、タイガーマスクとライオンマンの戦績をともに4勝1引分けと発表する。さて、純粋な視聴者は、覆面ワールドリーグ戦の勝敗表と日程表を作成しようとするが、4勝1引分けにならないことを知る。エジプトミイラとライオンマンとの2試合が残っているので、画面に描かれなかったキングサタン戦に勝利していたとしても3勝1引分けにしかならないのだ。脚本家は24話が辻真先、25話が安藤豊弘、26話が三芳加也。三人のメインライターの間での連絡が取れていない。この覆面ワールドリーグ戦の部分でこそ、アニメ側は原作のイメージをふくらませ、細部を調整しなければならなかった。原作より大会規模が小さくなり、興業運営が杜撰になっている。
多量の出血と疲労で、リング下で動けないままのタイガーマスク。そこにライオンマンが登場し、リング上で怪力を誇示するデモンストレーションを始めた。まずはコカコーラのビンの束をブリキケースごとベアハッグで粉砕してのける。続いて会場の客二十人と、鎖を使ってリングの上から綱引き。ズルズルとリング上に引きずりあげられていく客。ところが、この鎖がピンとはったまま動かなくなる。謎の巨人が鎖の端を握っていたのだ。グレイトゼブラ。無名の新人ゼブラは名声を上げるため優勝候補筆頭ライオンマンへの挑戦を申し込んだ。計画の変更をのぞまないミスターXは、日程を理由に断る。ゼブラは、ライオンマン・エジプトミイラ組対タイガーマスク・グレイトゼブラ組のタッグマッチを提案し喰い下がる。このハプニングにプロモーターとして困惑するX。プロレス客は、ライオンマンの怪力に抗ったゼブラ模様の巨人の参戦を期待しているのだ。ここでライオンマンがその提案を受けると宣言した。満場の客の前でかかされた恥を雪ぐには、相手の提示した条件をのんだ上で、タイガー、ゼブラをまとめて殺すしかない。
覆面ワールドリーグ最終試合は、ライオンマン、エジプトミイラ対タイガーマスク、グレイトゼブラ。しかし、リーグ戦の優勝者がタッグマッチで決まるものだろうか?疑問を持つ勿れ。結局、最終戦最後の試合で生きてリングに立っていた者が優勝なのだ。思い起こせば、開催目的はタイガーマスクをリング上で殺すことであった。ミスターXにしても、優勝賞金は勝敗表に関係なくその目的を実行した者に与えるつもりだった。どうにか生き延びて、ようやくここまでたどり着いたタイガーマスクであったが、敵のあまりにあくどいやり口に、誰も信用出来なくなっている。最悪の事態も想定している。このグレイトゼブラが虎の穴側のレスラーであった場合である。前日のデモンストレーションへの乱入も仕組まれた芝居であったとしたら?3対1の戦いになるのだ。もはや、絶望すら思わない。覚悟は決まっている。無意味なゴングが鳴った。タイガーがゼブラを信用していないため、このチームの連携はうまくいかない。また、反則自在のルールであるのに、ゼブラはまったく反則をしないため、その動きに戦意が感じられない。ところが、プロレスになると、ゼブラは圧倒的に強かった。ゼブラが強敵ライオンマンを封じているうちに、タイガーは、エジプトミイラに対して黄色い悪魔時代にすら禁じ手にしていた残酷技鉄柱串刺しバックドロップを決める。この展開になってもゼブラは反則を使わない。ヘッドシザーズでライオンマンを追い込んだ後、タイガーにタッチをする。この悪夢のような覆面ワールドリーグ戦は、タイガーマスクの正統技コブラツイストで幕を引くことになった。タイガーは、なにはさておき、ミスターXから10万ドルの小切手をもぎ取る。そして、いつの間にか姿を消していた、グレイトゼブラの後を追った。
控え室で詰問するタイガー。もう正体は判っている。ジャイアント馬場その人だ。馬場を裏切った自分を、助けに来た理由が知りたい。馬場は、巡業先でタイガーが土地の孤児院を訪問していることを知っていたと言う。そして、自らも希望の家を訪ね、盲の少女の身の上を知った。タイガーマスクの真意を悟り、死なせてはならんと思った馬場は、グレイトゼブラになって覆面ワールドリーグ戦に乗り込んで来たのだった。タイガーマスクは先輩の友情にふれ、覆面の下で涙を流している。「名を告げぬ行いこそが本物なのだ。君のように……それが答えだ」
27話「虎よ目をひらけ」は、覆面ワールドリーグ戦の後日談。伊達直人が匿名で送ったお金で、希望の家のちづるの目の手術が成功する。目を覆っていた包帯を取り去っていく場面で、チューリップのつぼみが開き、しゃがんでいたちづるが花の中から立ち上がるイメージが挿入される。音でしか認識していなかった世界を初めて視覚でとらえ、ただ茫然とするちづる。「アルプスの少女ハイジ」で、クララが初めて大地に立つ瞬間よりも良いシーンだ。クララの場面では、恩人ハイジがその場にいたが、ちづるが目を開いたとき、伊達直人はそこにいなかった。ゆるされて日本プロレス協会に復帰できたタイガーマスクだったが、覆面ワールドリーグ戦で反則自由の死闘ばかりやったことで、レスリングの技が全く荒んでしまっていた。プロレスファンのやじを浴びての苦闘の日々だった。ちづるの手術の成功は新聞記事で知り、達成感を得るが、焦躁は払拭されない。サブタイトル「虎よ目をひらけ」には、ちづるの目が開いたことにかけて、技のプロレスを開眼せよという意味がこめられている。今回が新必殺技編のプロローグである。
指摘しておく。第23話と27話でちづるの輪郭と髪型が違う。23話の作画監督は森利夫。27話が木村圭市郎。実は作画監督、もしくは、アニメーターの画風によって主人公伊達直人や若月ルリ子の顔も各回によって違っているのだが、ちづるは二回しか登場せず、また重要なキャラクターなので気になる。営利を前提に作られたテレビアニメを「作品」と呼称することに違和感を呈する異論があるが、「タイガーマスク」を商品と見るなら欠陥製品ということになるかも知れない。後半の話であるが、辻なおきの原作に基づき、87話で小松原一男がデザインしたデビルスパイダーを、91話で白土武は体色を変えて描いた。デビルスパイダーはアニメ登場より早く中島製作所からソフビ人形が発売されている。スポンサー主導の現在ならば考えられない製作姿勢だった。どちらが、良い時代なのかはわからない。
28話「よみがえる虎の穴」虎の穴のボスが登場し、新体制に移行する命令を下す。旧施設をダイナマイトで破壊し、再建する様子が描かれる。スポーツアニメとしては、壮大なシークェンスである。覆面ワールドリーグ戦の計画段階で登場する三人の支配者の上に、さらにボスと呼ばれる人物の存在があきらかになった。相対的に地位が下がってくるのがミスターXである。最初は、地獄の死者として虎の穴そのものとして、伊達直人の前に現れた。今回、虎の穴本部に呼び出されたミスターXは、処刑をおそれておどおどしている。悪魔の化身としてふるまうも、実は保身に専念する小心な男ミスターX。この難解な人物の声を演じたのは柴田秀勝。後に、特撮ヒーロー番組の悪役の声として重宝される柴田の重厚な声質が、ともすれば破綻しそうになる「タイガーマスク」のリアリティーを支えていた。声優として第一級の力量を示した人なのだが、アニメーションはミスターXが初仕事だったという。本業は俳優である。柴田秀勝を得たことも「タイガーマスク」の成功要因だった。たしかに、幸運な作品であったのだ。
(特撮ヒーロー番組の悪の声ナンバー1と言えば飯塚昭三であるが、飯塚と比較するなら柴田秀勝の声には品格が感じられた。飯塚が演じたハカイダーは野性味があったが、柴田の声で語るジェネラルシャドウには気品があった。作中で語られることはなかったが、この怪人の前身は卑しからざる出自の人間だったことを想像させる。ジェネラルシャドウは敵役ながら、仮面ライダー物語の主導権を握り最後のクライマックスを用意する仕事を果たした忘れられないキャラクターだった。)
処刑宣告におびえつつ虎の穴に戻ってきたミスターXなのだが、辛くも許された。覆面ワールドリーグ戦の失敗の要因は、本部がタイガーマスクの実力を低く判断したことだったという。結果、第一線を退いたコーチや、若手レスラーだけで参加選手を構成してしまった。胸をなでおろすX。覆面ワールドリーグ戦の種明かしのような理由だが、読者、視聴者は納得しかねる。ストーリーを続行させるための釈明だろう。ミスターXに与えられた指令は、新制虎の穴のために、少年を集めること。ただし、昔のように誘拐するのではなく、契約金を支払い書類を交わす。世界各国をまわり、少年と契約するXの姿が描かれる。テンポよく構成されているが、この第28話には、虎の穴の大規模工事から、ミスターXの地球行脚まで、一年以上の時間が詰め込まれている。
日本にもミスターXは現れる。「さて、この日本で、伊達直人以上の素質のある少年が見つかるか」日本でスカウトされたのは高岡拳太郎。やはり、アニメオリジナルキャラクターである。現場プロデューサーの思惑で、続編を作るときの二代目タイガーマスクとして準備されたのだという。結局、高岡拳太郎が続編の主人公になることはないのだが、この裏話は当時の番組人気を語ってあまりある。スタッフは反響の大きさを実感しながら製作を進めていたのだ。
29話は、虎の穴において伊達直人と大門大吾のコーチだった男が、覆面レスラーストロングアームを名のってタイガーマスクの刺客となる。今回は、師弟関係という男のドラマが描かれる。ルリ子や子供らの前で見せる陽気なキザにいちゃんは、伊達直人の本当の顔ではないのだ。子供向けアニメでありながら男の世界を書いたことでは「復讐の赤い牙」と並ぶ名編といえよう。男の世界とは因循にして単純な人間関係という意味である。ストロングアームことコーチ鉄腕ジョーは、自分の必殺技を編み出せとタイガーマスクに最後のアドバイスをする。この回はウルトラタイガードロップ完成編の序章ともなっているのだ。シリーズの中に伏線をはって次の展開に進む構成は、アニメ版が原作にすぐれるところである。(惜しむらくは、アニメオリジナルキャラクターストロングアームのデザインが面白くないこと。虎の穴の使者なら、なぜもっと奇抜なマスクマンとして想像出来なかったのか?)そして、タイガーマスク打倒を果たせなかった鉄腕ジョーは、荷物の中に時限爆弾を仕掛けられ、ジェット旅客機もろとも、太平洋上で爆死するが、ここで疑問がわく。こんな簡単に暗殺が成功するなら、何故、伊達直人一人が殺せないのか?しかし、その前にミスターXの科白があった。「時限爆弾とは月並みな手だが、それだけに確実だ」薄笑いとともに柴田秀勝の声でこう言われると、視聴者は納得するしかない。「タイガーマスク」の世界観、その虚構とリアリティーを引き止めていたのがミスターXだった。
主人公が特訓の末、必殺技を編み出し、ライバルは、それを破る工夫をする。この少年漫画のセオリーにおける最大の成功例は「巨人の星」であった。梶原一騎は、覆面ワールドリーグ戦終了後の読者の興味を新必殺技の攻防戦に向けさせることにした。この時期のタイガーマスクにオリジナル必殺技を身につけさせる展開に、計算は見出せない。梶原としては安直な方法だったと言える。原作漫画のタイガーマスクはすぐに特訓を開始する。しかし、アニメ版では、必殺技の完成を課題としながら3週間が過ぎ、さらにもう一本、挿む。すなわち、第30話「不滅の闘魂 力道山物語」である。
必殺技を編み出さなければ前へ進めない。初めて壁に突き当たったタイガーマスクは、嵐邸を訪う。道を乞うタイガーマスクに、嵐虎之介は、掲げられている額装写真を指し示した。「力道山先生!」この場面は重大だ。すでにこの世にない英雄に対して、セル画のキャラクターが最大限の敬意を表するのである。次元を超えた魂の交感とでも言うべきか。力道山も、迷ったときには嵐虎之介に苦悩を打ち明け、教えを乞うたという。この後、大相撲廃業から必殺技空手チョップ完成までの力道山の半生がアニメーションで描かれる。タイガーマスクは嵐虎之介を通じて力道山の薫陶を受けたことになる。この回は特別編であるとともに必殺技編の第一章の役目も果たしている。そして、タイガーマスクが日本プロレスの道統を引き継いだ儀式だった。なお、アニメ「タイガーマスク」の主要視聴者は昭和40年前後の生まれであり、昭和38年に死んだ力道山の全盛期は実感として知らない。ダイジェストで語られる今回のエピソードは、子供にとっては貴重な教養でもあった。力道山の声にキャスティングされた今西正男が、声質や口調を、完璧に再現していることも偉い。
第31話「大雪山の猛特訓」南米タッグチャンピォン・アポロン兄弟の来日と伊達直人の特訓の様子が並行して描かれる。アニメでは、空港に降り立つアポロン兄弟の場面から始まるが、原作漫画のファーストシーンは、北海道大雪山から始まる。マスクを脱いだ上半身裸の伊達直人が雪山の頂上で太陽を拝んでいる。唐突の感は否めない。連載漫画でありながら主人公を全く別の場所に置いて、物語の連続性を断ち切っているのだ。さらに、不思議なことを始める。雪玉を対面する峰の斜面に向って投げる。蔓草につかまって谷を飛び越え、転がりながら巨大になった雪玉の前に立ちはだかる。そして、そのまま雪玉に取り込まれて球体の一部となり転がっていく。これを何度も繰り返す。「雪玉も、男も、転がる度に大きくなるのだ」などという独り言は言うのだが、この特訓についての説明はなされない。梶原一騎はここで読者に想像も推理も要求していない。考えずについて来いというのだろう。ところで、大雪山特訓の場面は、アニメでも再現されるのだが、さらに違和感を伴うことになる。富山敬が病気になり(病名不詳)森功至が伊達直人の声を演じているのだ。森による代演は39話まで続く。富山敬と声質の似た人を選んだのであろうが、主人公が別人になってしまった事態は隠蔽しきれるものではなく、視聴者を当惑させた。アニメ「タイガーマスク」最大の瑕瑾である。ただし森功至は「マッハGOGOGO」「サイボーグ009」「科学忍者隊ガッチャマン」で主人公を演じた実力者である。なお、若月ルリ子の声も、山口奈々が出産するため、78話から野村道子に交代する。「サザエさん」のワカメ、「ドラえもん」のしずかの声の人である。この交代が比較的気にならないのは、ルリ子の登場場面が意外に少ないことと、ちびっこハウスの声優が厳格に固定されていなかったからであろう。山口奈々はウルトラセブン「北へ還れ」でフルハシ隊員の妹役を演じたことで特撮ファンに知られている。フルハシの母親役の市川春代は、阪東妻三郎の相手役をつとめた映画史的女優だった。
スター・アポロン、ウルサス・アポロンの兄弟は、タッグチームといいながら、弟ウルサスしかリングに上がらない。ウルサスの風貌は水滸伝中の豪傑をおもわせる虎髯の巨漢。日本人レスラーを相手に全試合反則負けの大暴れを見せる。無尽蔵の体力を誇る野獣。この単純なキャラクターが、新必殺技ウルトラタイガードロップのお披露目相手になった。兄のスター・アポロンは、映画スターのような容貌の紳士である。映画スターのような二枚目と言葉にするのは簡単だが、これを絵にするのは実は難しい。漫画家やアニメーターは、最も魅力的だと考える顔をすでに主人公として使用しているはずだからである。この難題を「タイガーマスク」アニメ版スタッフは、独特なキャラクターデザインで克服した。このスター・アポロンは芸術家を自称する。彼にとってはプロレスも芸術であり、芸術上の理由がなければリングに上がらないと言う。来日以来、日本の旧跡を訪ねては油絵を描いている。じつは、これも単純なキャラクターである。芸術家を気取る二枚目紳士。その名もスター・アポロン。ギャグ漫画に登場するイヤミなライバルと本質的に同類である。原作漫画に寺院の茶室で茶を喫する場面があるが、アニメでは、嵐虎之介を訪問することにさせた。スターは、目の前に出された刀を備前長船の古刀と見抜く。外国人でありながら、その鑑識眼に驚く嵐。スターは、鞘から抜き刃紋を鑑賞する。やおら、上段にふりかざし、嵐に向って斬りおろした。ここで嵐虎之介は真剣白刃取りで受ける。スターの顔に一筋の汗が流れる。嵐もまた、『この男は本物である』と見る。はからずも、架空のキャラクター同士が、互いの価値を高め合っている。とりもなおさず作品自体を高め深めている。
弟ウルサスの雪辱のため、ようやくスター・アポロンがリングに立つ。当然ながら、このスター・アポロンも新必殺技ウルトラタイガードロップに敗れ、原作漫画では役目を終えるのだが、アニメ版では、再登場し「タイガーマスク」の世界観を広げる。アポロン兄弟の重要性は、虎の穴以外の強敵レスラーを設定したことにあるのだ。「タイガーマスク」を参考にして作られた「仮面ライダー」では、全話を仮面ライダー対ショッカーの戦いに限定した。そして「タイガーマスク」以上の商業的成功をおさめるのだが、実写作品でありながら世界観は狭く、現実世界との接点は軽視される。後に続く子供番組を退化させたのが「仮面ライダー」だった。この書き方に反論もあると思うが、それ以前の作品群では、生きた人間を書くことを目的とし、表現も自由であったことは事実だ。見逃してはならない場面がある。スター・アポロン戦を翌日にひかえた夜、緊張をほぐす目的で伊達直人は、ちびっこハウスの門口に立つ。そこで直人が見たものは、寒風の中、洗濯板で子供らの服を洗っているルリ子の姿だった。直人からの寄付金は、子供らのためにしか使わない。自分の仕事をらくにする機械となる洗濯機は買わないのだ。ルリ子はこの前のシーンで、子供らに自習時間の延長を宣言している。たとえみなしごの境遇にあろうとも、寄付金で生活することに甘んじてしまえば、人間の尊厳が崩壊し始めるのだ。ちびっこハウスは最後の一点で拒絶する。子供らをからかう目的で来た伊達直人は、声をかけることが出来ずに帰る。ただし、直人の全身には闘志が満ちてくる。ルリ子は洗濯板で戦っている。生きることは戦いなのだ。
12項で、歴史浅いテレビアニメの声優の異常なレベルの高さを不思議と書いたが、アテレコブームという現象が昭和39年にあったようだ。アフレコ(after recording)と言わず、声をアテるのでアテレコという和製英語?まで成立していた。洋画やアニメ−ションの声を吹き替える技術を劇団俳優らが競い合う状況があったらしい。そして、アラン・ドロンの野沢那智とか、鉄腕アトムの清水マリといった人々の名前が人口に膾炙される。たしかに、その後、アニメ声優の存在は一般に認知されても、賞賛された時代は無かった。
原作漫画では、スター・アポロン戦のあと、タイガーマスクは、アジアプロレス王座決定戦が開催されるインドに旅立つのだが、アニメ第34話では新制度に移行した虎の穴の現在の状況が描かれる。伊達直人の時代は、重油のプールでワニと戦ったり、吊り橋から逆さ吊りにされたり、回転のこぎりの前のベルトコンベヤを走ったりと、文字通り、命がいくつあっても足りない毎日だった。しかし、現在は、体育館で、器具を使った科学的トレーニングをこなしている。鞭を揮う鬼コーチの姿も見えない。座学もある。ブースに入り、ヘッドフォンをつけてコンピューターのモニターを見ながら知識を学習する。清潔な食堂はリゾートホテルを思わせるガラス張りで、アルプスの絶景が眺望できる。不満を口にする少年はいない。これこそ新制虎の穴の洗脳プログラムなのだ。第28話の続編にあたり、ミスターXのスカウト行脚の場面で数秒しか画面に登場しなかった少年達が虎の穴でトレーニングにはげんでいる。このことは視聴者に驚きと感動をもたらす。レギュラー以外の登場人物のその後が描写されることは、子供番組に限らず、アニメでもドラマでも稀なのだ。毎週欠かさず見ていないと物語が理解できないという番組は、視聴者に拒否される危惧がある。しかし、アニメ「タイガーマスク」のスタッフは、それをやった。少年達が虎の穴で成長し、タイガーマスクに挑戦するまでの過程を長いシリーズの中でサイドストーリーとして描くのだ。当時の視聴者にしても、そこまで丁寧な構成は期待していなかったであろう。アニメ作品に要求される以上のことを見せたのだ。
新制虎の穴訓練生の中に、日本人高岡拳太郎がいる。拳太郎は、病気の母親の入院費用が必要で虎の穴と契約した。そして、プロレスラーとして成功することに賭けた。タイガーマスクのような人気スターになれれば、その収入も大きいだろう。しかし、いま、この決断は短慮ではなかったかと後悔し始めている。日本に残してきた病身の母と、幼い妹のことが気がかりで仕方がない。精神的に追いつめられた拳太郎は、脱走を試みるまでに至る。もちろん、アルプスの大自然の要害を日本人少年が突破することは不可能だった。拳太郎の家族を描くことにも、時間は惜しまれない。母親の病状は悪化をたどり、虎の穴から受け取った契約金も底をついた。妹、高岡洋子は日本プロレス協会の練習道場に現れる。兄が残した「タイガーマスクのようになる」という最後の言葉を手がかりにここへ来たのだ。偶然ではなく、タイガーマスクと高岡拳太郎の運命の糸を結びつけるために、視聴者を納得させる必然の経緯が準備される。伊達直人の行動は、ここから開始される。高岡兄妹の母を見舞い、状況を聞く。ミスターXが拳太郎を虎の穴へ連れて行ったのだと判断した。一点残る疑問は、契約金のことである。かつての虎の穴のスカウト方法は誘拐だった。間もなく、母親は死ぬ。みなしごになった高岡洋子を、伊達直人はちびっこハウスにあずけることにした。直人からの手紙だけを持って来た洋子を、ルリ子は、詳しいことは聞かずに受け入れる。タイガーマスクであること、それ以前にプロレスラーであることも隠している伊達直人の手紙には、虎の穴のことも書かれていない。さらっと簡単に描かれるシーンであるが、二人の強い信頼関係が表現されている。ルリ子は、直人がタイガーマスクであり、得体の知れない恐ろしい敵と戦っていることは感づいている。若月ルリ子も、参戦したのだ。
第35話「チャンピオンへの道」は、ジャイアント馬場物語である。30話「不滅の闘魂 力道山物語」につぐ番外編といえよう。アジアプロレス王座決定戦の日本代表に推挙されて尻込みするタイガーに、馬場自身が、プロ野球に挫折して、プロレスに転向、インターナショナルチャンピオンに就くまでの苦闘を語って聞かせる。原作漫画を読むと、スター・アポロン戦の後で、ジャイアント馬場の過去を記述した数行があるが、むしろこの回の原典はジャイアント馬場を主人公にした漫画「ジャイアント台風」であろう。原作高森朝雄、漫画辻なおき。昭和43年から昭和46年にかけて週刊少年キング(少年画報社)に連載された。高森朝雄とは梶原一騎である。週刊少年マガジンに連載された「あしたのジョー」も高森朝雄名義だった。同じ、週刊少年マガジン誌上に「巨人の星」を連載中だったための配慮だった。週刊少年キングには同時期「柔道一直線」を連載中だったが、「タイガーマスク」への配慮もあったと考えられる。「ジャイアント台風」は「タイガーマスク」の連載開始直後にスタートし、「タイガーマスク」の連載終了前に終っている。連載期間は短いが、週刊連載であるため、月刊連載の「タイガーマスク」よりページ分量は多くなる。タイガーマスクの存在するプロレス史が描かれる一方で、同じ作家が、タイガーマスクのいないプロレス史を描いていたのだ。純粋な少年読者なら困惑する。両先生は、「タイガーマスク」と「ジャイアント台風」のどちらに力を傾注しているのかということまで心配になってくるだろう。そのための配慮だった。辻なおきが描くジャイアント馬場の姿は、当然のことなのだが共通である。新潟県の三条実業高校を中退し巨人軍に入団するところから、ある種の迫真性をもって綴られる「ジャイアント台風」は、プロレスファンに熟読され、これが馬場の実像として正史になってしまった。作品中、卑怯なチャンピオンとして描かれるバディ・ロジャーズなどは、評価を下げてしまった。(アニメではラジャーという仮名で登場し、やはり馬場相手に策略を仕掛ける)実際に戦った馬場本人は「すばらしいレスラーだった」と語っているのだが、漫画の影響を覆すには至っていない。吉川英治は宮本武蔵像を作り上げ、司馬遼太郎は坂本龍馬像を作り上げたが、いずれにしても昔々の人である。同時代に生きているジャイアント馬場や大山倍達を伝説にしてしまった梶原一騎は、やはり豪腕の作家だった。
第36話から始まる、アジアプロレス王座決定戦は文句なしに面白い。一癖も二癖もある各国代表選手。エスニックな情緒と猥雑な恐怖が漂う。なぜか郷愁をおぼえるのは、かつてこの地域が、海の民だった日本人の行動範囲内にあったからだろうか。日章旗を掲げて開会式のリングに上がるタイガーマスクは、感無量である。アメリカでデビューした頃は、国籍を隠し、黄色い悪魔と罵られながら、暴虐の限りを尽くしていた。かりに国籍を明かしたなら、それは日本への恥辱になった。日の丸の旗に誓うは、優勝しかない。天涯孤独の孤児、タイガーマスクにとって祖国の意味は重い。まだなお、本名と素顔を秘密にせねばならないタイガーマスクにとって、国籍だけがアイデンティティなのだ。
アジア王座決定戦編の目玉は、タイガーマスク初戦の対手インド代表スノーシンと、特別参加のミスター?。魔性のテクニックを見せる謎の覆面レスラーである。超怪力スノーシンの正体は、ヒマラヤの雪男。試合中に白い体毛がどんどん伸びてくる。魔人ミスター?は、ウルトラタイガードロップをなんなく破ってしまう。その正体は、なんと、前世紀の実在人物にしてインドレスリング伝説上の英雄グレイト・ズマ(!)。東映動画のスタッフは、ほぼ原作通りの展開を最高の技術力で描き出すのだが、覆面ワールドリーグ戦に続いて、ここでも注文をつけたくなる。梶原一騎及び辻なおきが創造した、この二体の魅惑的な怪人に、もう一体でも追加することは出来なかったのか。「タイガーマスク」が想像の自由をいくらでも受け入れる、懐の深い世界観を持った作品であることを、テレビ側スタッフは、この時期には気付いていたはずなのだ。
開催地インドに到着し、現地を観光する伊達直人に、めぐみを乞う子供らが寄って来る場面が描かれる。アジアの子供の貧窮は日本の子供の現状よりも、さらに深刻なのだった。ちびっこハウスの救済は完了した。伊達直人の意識は、次の段階に止揚される。世界中の子供を救済したい。衆生無辺誓願度。なすべきことは、タイガーマスクとして全力で戦い、その存在価値と発言力を大きくすることしかない。幸いにも、プロレスは、政治も宗教も超えていけるグローバルネットワークなのだ。「プロレスラーに国境は無い」これは力道山の金言だった。アジアプロレス王座決定戦というタイトルは、物語のセオリーとしてはその先にある世界王座への通過点である。「タイガーマスク」は、壮大な長編ドラマの準備に入った。
このアジア王座決定戦編には、いま一人、大事な役所を演ずる男がいた。各国代表参加選手の中で唯一の実在人物(グレイト・ズマはこの世にいない)、大木金太郎である。魔人?に勝てないと思った大木は、身を呈した作戦を仕掛け、自分より後で?とあたるタイガーを勝利させた。アジア王座決定戦に馬場と猪木が参加できなかった理由は、同時期にワールドリーグ戦が開催されるためであった。代表選手発表の記者会見の席では、第三の実力者大木金太郎の名が上がる。ところが、大木は母国である韓国より金一の本名で参加するという。「タイガーマスク」の読者、視聴者は、大木金太郎が韓国人であることを知らなかった。複雑な当惑にかられる。日本人は朝鮮人を差別し続けていたからである。金一自体が、本名を名のれず、大木金太郎のリングネームで試合をしなければならなかったことが、その証左である。韓国と言っても、国家の歴史は浅い。第二次大戦後北緯38度線で朝鮮半島が分断されて後に成立した国である。金一が誕生した昭和8年は、もちろん大日本帝国の一部であった。朝鮮半島が日本の領土であった期間は、明治43年から昭和20年までであるが、軍事的にも文化的にも遥かに優位にあった日本人は、いつかわからないほど昔から朝鮮民族を見下してきた。そして、敗戦後も日本人の朝鮮民族への差別は続く。日本人と朝鮮人は陰湿な意識で対立し始めた。日本本土に取り残された朝鮮人は、表社会から排除される。一部の人は、スポーツや芸能の分野で成功したが、多くは、賤業に就かざるをえないか、裏社会に入った。こんな国へ、昭和33年夏、金一は密航してきた。大韓民国は貧しい国だったのだ。逮捕されて後、日本にプロレスがあることを知った。韓国相撲で鍛え、肉体にだけは自信がある金一は、在日朝鮮人社会の裏ルートを通じて力道山に救いを求める。絶筆「男の星座」の中で梶原一騎は、柳川組組長柳川次郎こと梁元錫ら在日朝鮮民族の裏社会の人々と交際があったことを告白している。その上で、金一が身を犠牲にして、タイガーマスクをアジア大会優勝に導くストーリーを書いた。在日韓国人の子供は、この結末にどんな感想を持つのだろうか? 次頁→