第59話からは、第二次シルバーリーグと銘打った興業で、東北、北陸、北関東を巡業する。毎回、舞台が変わり、その土地の風土を活かした物語が用意される。一方で、タイガーマスクの保持する覆面世界チャンピオンへの挑戦権をかけて、世界規模で展開されている予選の模様が描かれる。
59話「命知らずの挑戦状」宮城県仙台が舞台。タイガーマスクは、嵐虎之介の紹介状を持って、戦国時代より伝えられる古武術、穂積流小具足の道場を訪ねる。当主穂積一衛は病床に臥せっており、息子の一馬が師範代をしていた。若い一馬は、借金をしてまで流儀を広めたいと思っているのだが、いまどき、古流武術に入門するものなどいない。一馬は、金貸しにそそのかされてタイガーマスクに挑戦する。プロレスラータイガーマスクを破ったとなれば、穂積流の名は全国に知れ渡るというのだ。
「タイガーマスク」の原作漫画には見られない話だが、ドラマ版「チャンピオン太」では、主人公がプロレスラーでありながら、空手家や武術家とよく他流試合をしていた。実写ドラマでは、プロレスラー並の肉体を持った俳優をキャスティングするのが難しかったのだろう。「柔道一直線」や「空手バカ一代」等で描かれる、日本人の柔道家や空手家が、プロレスラーの巨体をスピードと技で翻弄する場面は痛快なのだが、その逆は哀しく惨めである。穂積一馬は、結果的にタイガーマスクに勝てず、道場と敷地は金貸しの物になってしまう。旅先で出会った人には、なんらかの援助や寄付をして未来の希望を持たせるのが「タイガーマスク」のパターンなのだが、今回はそれが無い。仙台青葉城址の松の老木を名月が照らすだけで終る。作品内でふれられてはいないが、伊達男という意味でネーミングされた伊達直人の由来こそ青葉城主伊達政宗だった。
60話「虎とへんくつ医者」プロレスは岩手県盛岡市内で開催されるのだが、舞台は、山奥の僻村。ここで開業する大酒飲みで豪放、ただし腕はたしかというひげの医者の話。山本周五郎の「赤ひげ診療潭」、またはそれを原作とした黒澤明の「赤ひげ」がもとになっているのはあきらかである。しかし、模倣とか剽窃と言う勿れ。東映動画の「タイガーマスク」スタッフは、アニメーションで世界のクロサワに迫ろうとしたのだ。あるいは超えようとしていたのかも知れない。アニメーションで人間の真実が描けると確信し果敢に挑戦したのだ。
この回のタイガーマスクは、医療器具を寄付して去る。
第61話「王将の道」虎の穴のシーンから始まる。赤覆面の支配者達が新卒業生ルドルフに、ザ・ミラクルズが撮影したタイガーマスク対ブラックV戦のフィルムを見せている。このルドルフに託された期待は、ウルトラタイガーブリーカーを破り、覆面世界タイトルを奪うことである。ルドルフは、対処法は簡単だと言い、この生意気な発言が、ミラクルズを怒らせる。口論では決着しないのでリングに上がれということになった。支配者達は制止しない。「ミラクルズごときに負けるようでは、はなしにならない」という台詞が虎の穴の層の厚さを感じさせてよい。
第二次シルバーリーグ、今回の開催地は山形県天童。タイガーマスクは、孤児院若草ハウスのみなしごらをバス旅行に招待して、蔵王のお釜へやってきた。そこで自殺しようとしていたおじいさんを見つけて助ける。根来という名前のこの人は、将棋の駒作りの名人だったのだが、卒中で右手が動かなくなり生きる望みを失ったのだ。タイガーマスクがこの根来じいさんをはげますのが、今回のお話。天童名物人間将棋がアニメーションで描かれる場面も見所の一つ。
プロレスの相手は、サン・ガニア。バーン・ガニアと名前が似ているが、キャラクターデザインに共通点は見出せない。この試合を、三人の支配者の一人が覆面を脱いで偵察に来ていた。ここは重要な伏線である。期待の新人ルドルフは、覆面レスラーブラックパンサーとしてデビューさせ、タイガーマスクに挑戦させる予定であるが、もし、負けた場合は、じきじきに支配者が出て行くつもりなのだ。支配者の素顔を知らないミスターXが、場内で見つけて「レスラーのような体格をしているが、何者だろう」と言っている!
第62話「黒い挑戦者」彗星の如くデビューし、覆面世界王座挑戦者に名乗りをあげたブラックパンサーが、ヨーロッパ最強といわれる覆面レスラーカメレオン男爵をリングの上で死なせた。虎の穴がまた、自分に対して恐るべき刺客を放ったことを察したタイガーマスクは、不安にかられる。
今回は、新潟県直江津市。まだ見ぬ挑戦者の影に怯えるタイガーに、ジャイアント馬場は「日本海の荒波を見てこい」と言った。その言葉に従い、タクシーに乗り海岸に行こうとするが、このタクシーが、途中で土砂を運んでいたリヤカーと接触。伊達直人はタクシーを降り、リヤカーを引いていた少年に謝る。この少年六郎が、青雲学園のみなしごだった。六郎は、もうすぐ青雲学園から出ていくのだが、その前に、後輩らが遊べるように運動場を整地しようと土砂を運んでいたのだ。伊達直人は、整地作業を手伝い、帰り際にプロレスの招待券を渡した。
その夜の対戦相手はブラッディマスク。何の工夫も無い白覆面のレスラー。名前もデザインも適当である。プロレスアニメでありながら、肝心の試合やレスラーを描くことに興味を失っているようにも感じられる。第二次シルバーリーグ編においてこの傾向は顕著だ。それとも、次の強敵ブラックパンサーを際立たせるためのシリーズ構成上の配慮か?ここで、ブラッディマスクが自転車のチェーンを持ち出し、タイガーマスクを攻撃する。演出は及部保雄、作画監督は我妻宏。画面はチェーンの先端に固定され、複雑にしなりながら、タイガーの肉体に向って行く。もし、このシーンを実写で撮ろうとするなら、チェーンの直後に超小型ムービーカメラを取り付けて回さなければならない。当時の技術では不可能であり、ましてや、実際のプロレス中継に、そんな画像はあってはならない。プロレス側の当事者であり、プロデューサーとしての鋭敏な感性も持ち合わせていたアントニオ猪木は、アニメ「タイガーマスク」を観て不安になったと言う。スピーディーに飛び交うレスラーを、無限のカメラポジションから撮影している。現実のプロレス中継が、これと比較された場合、それは、緩慢で退屈なものに見えるのではないかと。日本プロレス協会は、ザ・デストロイヤーを覆面チャンピオンに仕立て「覆面十番勝負」という企画を実行した。放映中の「タイガーマスク」を意識していなかったとは言えない発想だ。さらに、国際プロレスでは、外人レスラーの一人に虎縞のマスクとショートタイツを着せ、ミスタータイガーというギミックでリングに上げた。これも昭和45年のことである。「タイガーマスク」は現実のプロレスに勝ったと判定してもよいだろう。東映動画のスタッフは、当初の目的を果たし、到達感と余裕を持って、次の目標を模索し前進していたのだ。タイガーマスクについても、国民的ヒーローのように描かれるようになった。試合後、リング下に青雲学園のみなしごらを呼び、手を延ばして、「応援ありがとう」と六郎と握手をする場面も良い絵になっている。
ところで、直江津市は、この62話が放送されて4ヶ月後、高田市と合併して上越市になった。地元の人にとっては感慨深い記念になるのではなかろうか。今回のタイガーマスクは、ダンプカー数台分の土砂を青雲学園に送って帰った。
第63話「めりけんジョー」脚本辻真先。この回は、「エドワード・カーペンティア」「ドン・レオ・ジョナサン」といった実在レスラーの名前や、「ブレーンバスター」「ジャーマンスープレックス」などのプロレス技の名称がやたらと出てくる。プロレスにさほど興味が無かった辻真先が、多少プロレスについて勉強し、その成果を披露しているように聞こえる。そして、資料を調べている中で、力道山よりはるか昔に、海を渡って他流試合を行っていた柔術家達がいたことを知った。地球の果てまで征き、賞金を賭けて、ルールもあってなきが如しの真剣勝負を繰り広げていた日本人。豪快でロマンチックな人生にインスパイアされた辻は、彼らをモデルにめりけんジョーという人物を想定する。
めりけんジョーは、アメリカ西部で活躍した。娯楽の少ない開拓地で、力自慢の荒くれ者どもを相手に路上で賭け試合をしていた。ひたすら激しく戦い、またサービス精神もあったため、人気もあり、有名だったという。野牛を相手に素手での組み打ちを見せることもあった。現在は帰国して山奥で樵をしている。土地成金で何億もの金は持っているのだが、あいかわらず小屋のような家に住んでいる。(今回に限って、物語の場所が不明。前回が新潟で、次回が山梨なので、その中間地点と考えるべきか?それとも、前田光世の生誕地青森と思った方が面白いか?)めりけんジョーは、第二次シルバーリーグの試合会場に現れ、一升瓶を片手にタイガーマスクにヤジを飛ばす。そのヤジが的確であったことが気になったタイガーは、この客めりけんジョーの顔を覚えておき、伊達直人の素顔に戻って追いかける。タイガーマスク伊達直人は、ブラックパンサーのことが頭から離れず、萎縮していた。また、覆面世界チャンピオンとして、それにふさわしい試合をしなければならないというプレッシャーが、技を小さくしていた。伊達直人は、赤提灯の屋台から山小屋まで酒につきあい、一晩、めりけんジョーの昔話を聞く。そして、自分もまたアメリカでは「黄色い悪魔」とまで呼ばれた豪快なレスラーであったことを思い出し、その過去を否定する必要がないことに気付かされる。かつての日本人は、もっと豪快で剽悍だったのだ。
話し終えた後で、めりけんジョーは「タイガーマスク君」と呼ぶ。伊達直人の正体を見抜いていたのだ。そして、礼を言う。山小屋に住み、変人のふりをしているが、本当は、話し相手の欲しい孤独な老人なのだ。マイク・ブリスコ、鉄腕ジョーに続く、アニメオリジナルの好漢だ。一点惜しいのは、その名前だ。当時珍しいアメリカ帰りだからこそめりけんジョーと呼ばれたのではないか。アメリカで暴れているときからめりけんジョーと名のるのは不自然だ。鉄腕ジョーと似ていることも面白くない。前回62話のゲストキャラクターの名前は六郎だったが、高岡拳太郎の同期生の名前も六である。また、六郎の弟分的孤児の名前はよしおだったが、シリーズを通じて、よしおという名前の子供は三人出てくる。ほかにも、覆面サムソンと猛牛サムソン、ようこも二人いる。取るに足りないことだが、総論の目的上、難点として指摘しておく。
そして、今回の作画監督は森利夫。森によって写実的にデザインされためりけんジョーは、実に味わい深い良い顔をしている。実在人物をモデルにしていると考えられる。めりけんジョーが座った屋台の女将の顔も、年齢が読み取れるほどに描線が多い。第12話のたこやき屋台のおばさん。第50話の一品料理店の女主人など過去に登場した同様のキャラクターは、漫画的にデフォルメされた顔をしていた。森利夫は、心理描写の場面などで、リアルなイラストを一枚挿入する手法を使い効果を上げる。「タイガーマスク」の作品価値を高めた。このことについては、次の回と併せて書く。
第64話「幸せの鐘が鳴るまで」場所は山梨県甲府市。この回が問題作なのである。まず、面白くないのだ。今回の「タイガーマスク」が何をしようとしたのかというと、ドキュメンタリーに挑戦したのである。テレビドラマの製作者は、スポーツの生中継や報道ニュースに対して限界を感じている。またドキュメンタリーフィルムが訴えかける迫力に、俳優の芝居はかなわない。やればやるほど、はなもちならないものに陥ってしまう。プロレスの試合を描くことについては勝利の手ごたえを感じ始めていたスタッフは、ドキュメンタリーの手法を試みて現実社会の人間を描こうとしたのだ。
開巻、あしなが育英会がまとめた交通遺児の文集の一編が、画面にあらわれ、野沢雅子の声で読み上げられる。たいしたことのない作文である。例によって、駅前公園の武田信玄像など観光名所が背景美術によって描写される。この回の特徴は、場所や時期が特定できること。場所は甲府市内。時期はクリスマス前。そして、少年の名前は、太田孝(健太ですらフルネームは不明のまま)。この太田孝が交通事故で父親を失った交通遺児である。公園の砂場で玩具の自動車で遊んでいる子供らがいる。太田孝は、その玩具の自動車に敵意がわき、突進。蹴飛ばして逃げていく。それを伊達直人が見ていた。その際、落としていったマフラーを拾った伊達直人は、太田孝を追い、事情を聴く。そして、デパートでクリスマスプレゼントを買ってやり(タイガーマスクと他一体の人形)アパートまでついていった。夜遅くなって、残業を終えた母親が帰ってくる。ここでなぜか思わせぶりなBGMがながれてAパートが終る。
その母親が炊いたご飯とみそ汁をかみしめ味わう伊達直人。モノローグで『これが家庭の味か』などと言って、しみじみと感激している。また、母親は母親で、伊達直人を亡夫に見立てて独り言を言う。この母親が、やたらとモノローグで心情を吐露するため、後半は、交通遺児の話が、交通寡婦の話になってしまう。実際、苦労しているのは、子供ではなく母親なのだが、子供番組らしからぬおかしな雰囲気が漂ってくる。
プロレスシーン。太田母子が観客席にいる。切符をくれた伊達直人がいっしょでないことを残念がっている。エンゼルというレスラーと戦うのだが、始終押され気味で、結果はエンゼルの反則負けによる勝ち。母親が、タイガーマスクが勝ってよかったねと言うと、孝は、反則勝ちではつまらないと応えて、がっかりさせる。この母子をどこまでも哀しくさせるのは、ドキュメンタリー的なえせリアリズムを欲したからだろうか。なお、対戦相手のエンゼルは、このシルバーリーグ参加選手で、第60話にも登場しているのだが、今回全く別人の姿で描かれる。研究対象として作品を鑑賞するとき責任を問いたくなる。作画監督は木村圭市郎。
ラストシーンは、雪の降る町に立つ伊達直人。戦後の日本が初めて対面した社会問題交通事故に対して、一人一人の運転手が気をつければ無くなるはずだと提言する。この話が放送されて40年の月日が流れたが、交通事故は無くなっていない。そして、ふだんはスポーツカーを乗り回しているのに、今回の伊達直人には自動車を運転する場面がなかった。欺瞞であり弱点だ。プロレスラーが職業である伊達直人が自家用車を持つ必要はない。この巡業シリーズでも、選手が鉄道で移動している姿が描かれる。日本から交通事故を絶つために伊達直人個人が出来ることは、自動車の運転をやめることしかない。他の運転手に注意を促すことではないのだ。ただ、伊達直人に派手な運転をさせる絵を描いていた東映動画のアニメーター達は自動車を持っていなかったと思う。伝え聞く給料では都内での自家用車所有は難しい。調査したわけではないが、やはり動画プロダクションタツノコプロのカーレースアニメ「マッハGOGOGO」のスタッフが誰一人運転免許すら持っていなかったという有名な話が出典根拠である。アニメーターとしては、交通事故問題については第三者の立場であって、他人に自覚を促すしかなかった。
さて、今回の作画監督は木村圭市郎なのだが、森利夫の「めりけんジョー」と比べると極端に線が少なく、観る側からすると手を抜いているように感じられる。リアリティー追求に目標を定めたタイガーマスクスタッフは、人物の顔に描線と陰影を増やし立体的にしていった。この方向性は作品「タイガーマスク」にとって正しい。プロレスを描くにしても、人間ドラマを描くにしても絵柄はリアルであればあるほど良かった。総作画監督である木村圭市郎は、あいかわらず漫画映画風の平面的な顔でキャラクターデザインをしている。たとえば、この回に登場する母親にしても、観念的にしか描かれていないので伊達直人との年齢差が想像できない。大失敗の要因であった。木村は「タイガーマスク」でテレビアニメーションに革命を起こし、そして、成功したが、作品はすでに木村の手を離れた場所に進んでしまっていたのである。そうなると、革命の功労者に用事はなくなる。明治維新の西郷隆盛のように、ときに邪魔にさえなる。木村自身は、後年、自分の意思で「タイガーマスク」をやめたと言っているが、実情は必要とされなくなっていたのではないか?作画については、項を改めて書く。
第65話。ついにタイガーマスク対ブラックパンサーの覆面世界チャンピオンをかけたタイトルマッチ。イメージ世界に浮かぶリングのコーナーポストから黒豹が狙っている。この黒豹がタイガーマスクに飛びかかるところで、サブタイトルが出る。このサブタイトルの出し方が毎回、違う趣向で凝っていて、楽しみの一つなのだった。同時期の東映動画作品「ゲゲゲの鬼太郎」などもサブタイトルの出し方に工夫が凝らされ、それだけで怖くなった。後年のテレビアニメでは、東映作品も含めて、パターンを統一するのが主流である。ミスターXが登場し、「虎の穴の秘密兵器ブラックパンサーが、今度こそタイガーの息の根を止める」などとくさいせりふを言う。東映ドラマ「仮面ライダー」において、名優達によって演じられ強い印象を残したショッカー幹部の原点は、このミスターXなのだろう。シルバーリーグの巡業から帰ってきた伊達直人は、ひさしぶりにキザ兄ちゃんとしてプレゼントの山とともに、ちびっこハウスへ。むかえるルリ子とみなしご達。その中に健太がいない。おやつの時間になっても帰って来ない健太をさがしに出ると、街角にはられたプロレスのポスターをじっと見ている。タイガーマスク対ブラックパンサー。本当に変らないキャラクターを守り続けている。そして、キザにいちゃんを直人兄ちゃんに言い換えて切符をねだる。「わかった。考えておくよ」と、良い返事。強敵ブラックパンサーが相手であるが、赤き死の仮面戦前のような悲壮感は無い。夜は、タイガーマスクになって嵐虎之介邸へ挨拶に行き、内弟子になった大門大吾と再会。ブラックパンサーが宣言しているウルトラタイガーブリーカー破りの方法について、大門と嵐虎之介はシュミレーションを重ね、結論に達したという。ウルトラタイガーブリーカーを破る方法は、第61話でブラックパンサーことルドルフがザ・ミラクルズ相手に見せた通り、空中で反転し、ロープ外に逃げるしかないと。大門の友情もさることながら、嵐先生の好意にも恐縮するタイガー。今回は、5クールの最終話にあたる。伊達直人とタイガーマスクにつながるレギュラーキャラクターが集結した。
タイガーとブラックパンサーの試合。空中戦から関節技の攻防、4の字固めのプロセスなど、セル画の枚数を使って丁寧に描かれる。題名では「死闘 覆面王座戦」となっているが、殺伐とした雰囲気は少なく、ベストバウトとでもよびたい名勝負になっている。5週にもわたって活躍した黒豹マスクのブラックパンサーであるが、知名度が低いのは、人形が発売されていないからかと考えられる。中島製作所の亀マークソフビ人形のラインナップを検証すると、すべて原作漫画に登場するものばかりで、テレビアニメオリジナルのキャラクターは無いことがわかる。逆にザ・コンビクト、バイキングキッド、ゴルゴダクロスなどの漫画には登場するがアニメには登場しなかった覆面レスラーも商品化されている。ビデオが普及していない時代、造形用資料として使われたのが印刷物漫画雑誌だったからであろう。
客席には、伊達直人に切符をもらったちびっこハウスの面々がいる。注目は、ルリ子の服装がいつもと違うよそ行きであること。(マスコミ関係者や各界の著名人も集まったアジア王座凱旋帰国パーティーに参加したときですら、普段着であるみかん色のカーディガンだった。)この回以降、ルリ子の服装が、毎回変る。作画スタッフに余裕が出てきたのか。第59話から第65話までは、まったく原作漫画をはなれたオリジナルストーリーだった。「幸せの鐘が鳴るまで」も含めて、テレビ版「タイガーマスク」の到達した成果が示される。
第66話「虎の穴の恐怖」というサブタイトルだが、虎の穴の具体的な行動は描かれない。健太が風邪をひいて寝込んだというので、伊達直人がちびっこハウスに見舞いに来る話である。そこで、健太が作ったタイガーマスク関連のスクラップブックを見ながら、伊達直人がこれまでの戦いを回想する。いわゆる総集編だった。回想シーンは、当然、過去のフィルムの再使用。健太は布団の中で寝ているし、伊達直人は、その枕元に座っているだけ。ルリ子が襖を開けて、何回か出入りするが、同じ絵が使われている。セル画の枚数を、かなり節約できたとみた。放映日を確かめると、昭和45年12月31日。大晦日だった。(放映リスト2参照)
ところが、最後に健太がおかしなことを言う。タイガーマスクはチャンピオンになったのだからキングタイガーと改名したらよいと。伊達直人は、キングタイガーという名に聞き覚えがあった。虎の穴には、キングタイガー、ブラックタイガー、ビッグタイガーという三人のタイガーがいた。彼等は、強すぎて対戦相手がいないため、現役を退いたという。そんな、強いやつらが、タイガーマスクの前に現れるのか!第6クールは原作を離れて、物語が大きく動く。総集編であるとともに子供視聴者を期待させ興奮させる新展開予告編の役割を果たして終る。
第67話「黄色い悪魔復活」。高岡拳太郎が虎の穴を卒業する。一緒に卒業するのは、タイ人のチャキル・ランパファとドイツ人のハンス・シュトライザー。チャキルは、拳太郎と同時期にスカウトされる場面があったが、ハンスは初登場のキャラクター。卒業シーンで描かれるのは、タイガーマスクに敗れたブラックパンサーことルドルフが、作業員に身を陥して強制労働させられている姿。彗星の如く颯爽とデビューし、ヨーロッパマットでの華麗な活躍、そして、このあわれな末路まで、かなりじっくりと描かれた印象は残るが、なまいきで合理的で共感できないキャラクターではあった。また、時間をかけて育成したあれほどの逸材を建設作業員として使うのはもったいないとも思えるのだが、組織の恐ろしさを表現する意味では効果がある。この回の別の場面で使われるミスターXの言葉を借りるなら「虎の穴をなめてもらってはこまる」のだ。
高岡拳太郎は、覆面レスラーイエローデビルつまり「黄色い悪魔」のリングネームでアメリカでデビュー。かつてのタイガーマスクさながらの暴れっぷりを見せる。ただし、イエローデビル高岡拳太郎当人は焦っている。タイガーマスクを倒して、妹洋子と再会することだけを目的に虎の穴の特訓に耐えてきた拳太郎としては、日本にいかなければ意味がないのだ。しかし、これは虎の穴の作戦だった。黄色い悪魔を名のる東洋人レスラーがアメリカで非道の限りをつくしているという情報は、タイガーマスクも動揺させられる。太平洋をはさんだ距離が、もどかしく、タイガーの心にのしかかるのだ。このストーリーは、原作漫画のにせタイガーマスク編が下敷きになっているようだ。また、第1話で描かれることのなかったアメリカでデビューした当時のタイガーマスクの試合ぶりが、回想としてじっくり描かれる。野次る観客を睨み返し、場内すべてを敵にまわして狂ったように暴れる。消えない過去が伊達直人を懊悩させる。繊細な神経と秘めた狂気がこの主人公の魅力なのだ。
拳太郎を描く以上、同時にちびっこハウスにいる洋子の現況も描写されるのだが、ここにシリーズ最大の疑問が出てくる。高岡拳太郎は、初登場のときより成長し、大人びた風貌に変っているのだが、妹洋子は子供のままなのだ。この違和感は、第6クールの展開のなかで、どんどん増幅してゆく。「タイガーマスク」の世界観を揺るがすほどに。
第68話「幻の黄色い悪魔」。虎の穴の挑発に乗ったタイガーマスクは、馬場の許しを得て、ニューヨークへ飛ぶ。そして、まさに黄色い悪魔時代につきあっていたビッグ・ボースンというプロモーターに合い、イエローデビルとのマッチメイクを依頼する。原作漫画のにせタイガー編でも、ビッグ・コンドルというプロモーターと交渉していた。こういう裏社会とつながるいかがわしい大物相手に一人でわたりあえるのも、タイガーマスクという男の凄みだ。初期のストーリーで、ちびっこハウスの立ち退きをせまる暴力団の親分を伊達直人が睨み倒した場面も思い出す。しかし、イエローデビルは、ここで、その姿を消す。ボースンはその情報網を使い、タイガーはレスラー仲間を訪ね歩き、イエローデビルの消息を追うが、杳としてつかめない。虎の穴の作戦である。タイガーがイエローデビルの正体が、日本人高岡拳太郎ではないかと想像することも計算済み。妹洋子と伊達直人が接触していることもミスターXは知っているのだ。
せっかく、スケジュールを無理してニューヨークくんだりまで来たのに、なんの成果も得られないタイガーマスク。まんまと虎の穴の戦術にかかっていることに気付く。ボースンのオフィスで落胆しているとき、“マットの芸術家”スター・アポロンが登場。ウルトラタイガードロップ編では、アルゼンチンのローカルチャンピオンにすぎなかったスター・アポロンは、いまや本場アメリカで注目されるスターになっていた。贋物には目もくれないスター・アポロンが、タイガーマスクに対して友情と敬意を示す。プロモーターボースンを介して、ここにタイガーマスク対スター・アポロンのビッグカードが成立した。
試合場面ではウルサス・アポロンも再登場し兄のセコンドにつく。なつかしいという感情が惹起され、イエローデビルのことも忘れそうだ。結果は引分け。マイク・ブリスコと再戦し引分けた、強敵カミカゼ出現の第44話とストーリー構成が近似している。脚本はどちらも安藤豊弘。タイガーマスクとスター・アポロンが初めて対戦する第33話も安藤が脚本を書いていた。
新制虎の穴の三人の卒業生のうち、柴田夏余に任されたのはハンス・ストライザー。第69話「掟破りの挑戦者」。覆面レスラーナチス・ユンケルとしてヨーロッパでデビューし、たちまち注目を集めるようになったハンス・ストライザーは、虎の穴に無断でタイガーマスクに挑戦状を送った。練習生時代、タイガーマスクは卑怯な悪人であると洗脳教育されていたからである。物語の流れから見て、この新展開のメインはイエローデビル高岡拳太郎である。イエローデビルをさしおいて、ナチス・ユンケルがタイガーマスクに勝つとは考えにくい。柴田夏余は、構成上の手段を逆手にとり、絶望的な結果にむかって突き進む無謀な若者の話にした。日本でナチス・ユンケルを待ち構えていたミスターXには、卒業成績は高岡拳太郎の方が上であり、その高岡にすら、虎の穴は、まだタイガーマスクへの挑戦を許可していないと翻意を勧めさせている。それにしても、ナチス・ユンケルというリングネームは趣味が悪い。社会主義労働党の略称ナチの所有格ナチスと貴族ユンケルは、言葉として結びつかない。このレスラーは、柴田が今回の脚本のためにこしらえたのではなく、東映動画側で用意されていたキャラクターなのだろう。おそらく、残酷非道な反則レスラーというパーソナリティーで描かれたと考えられるが、女流脚本家柴田夏余の手にかかって、純真でむこうみずな若者に書き換えられてしまった。長期シリーズに対応するため、作画スタッフがあらかじめストックしていた、タイガーマスクに負けるためだけに描かれた悪役レスラーの絵を見せられた柴田は、彼らの人生とは何だろうと考えてみた。この回では、相手レスラー、すなわちハンス・ストライザー側からタイガーマスクを観察する視点がある。やられ役という不条理な運命を与えられた者が、生きる方向を真剣に考える心の葛藤の告白がある。
ハンス・ストライザーがドイツ人ということで、柴田夏余は、この話を自分が書いた第45話「望郷の少年」の後日談にもした。ナチス・ユンケルが来日した同じ時期に、タイガーマスクがドイツで知り合ったツヨシとフィリップが、日本を訪れる。ツヨシに日本を見せることがタイガーマスクとフィリップの約束だった。ところがなんと、ハンス・ストライザーは、フィリップの近所に住んでいた子供だったのだ。交通事故が原因で両親を失ったハンスの後見人となって孤児院に預けたのがフィリップだったという。出来過ぎた話だが、30分アニメは、これくらいドラマチックでなくてはならない。それよりも、ツヨシと健太をひきあわせて、意気投合させるまでの書き方が上手い。そして、ツヨシと健太は、タイガーマスクとともに伊達直人とも面識がある。タイガーと直人を、二人の前に出し入れするのは難しいと思われるが、間にルリ子を入れているので矛盾が無い。また柴田夏余は、ハンスの口を借りて、虎の穴がタイガーマスクを消そうとする理由は「正義とやさしさへの復讐」なのだと新説を提示する。ナチス・ユンケルはタイガー打倒に失敗し、ハンスは死ぬ。ハンスが交通事故にあったと聞き、暗闇の中を走る伊達直人のラストシーンで、この回は終る。苦情を申し立てると、ナチス・ユンケルのデザインがバットマンそのままで、創意が感じられない。また、漫画風にかわいらしく描かれている。タイガーマスクについても、目が大きく描かれ印象が可愛くなっている。作画監督は、中城勉という人。クレジットされているのは、この69話だけ。
第70話「未練のマット」覆面世界タイトルの挑戦者に選ばれてカミカゼが来日する。このイエローデビル編は、第5クールを挟んで、カミカゼ編と対応しているのだ。はからずも、長いシリーズがここで定型詩のように均衡のとれた物語になっていることを発見する。タイガーとカミカゼのタイトルマッチは、引分けの凡戦になってしまった。試合後、カミカゼは、タイガーに、未練の残る試合だと不満を言う。初対決も、赤き死の仮面戦に比較すると面白くなかった気がする。真面目な話をすれば、カミカゼという空手レスラーの魅力を最大限に引き出す演出をしようとするなら、開始早々、必殺の突きか蹴りでの完全決着しかない。相手レスラー、今回の場合はタイガーマスクが空手を修得してカミカゼに対処しなくてはならなかったのだ。カミカゼの方からレスリングにつきあうと、無骨が売りのこの武道家が、器用な総合格闘家に見えてしまうのだ。
武道家といえば、忘れてはならない武人がいる。嵐虎之介十段。嵐十段は、日本プロレスの道場でスパーリングをしていたカミカゼが気になり、タイガーを介して、自邸に招いた。カミカゼは、そこに書生のようにしていた大門大吾を一目見て、一流のレスラーの資質があることを見抜く。武技を身につけた男は、戦わずにはおれないはずだと言う。「どうして、リングに立たないのか?」醇乎たる武道家であらんと思い定めながら、プロファイターとして生活することに何の撞着もないカミカゼの一言は、この作品の堅固な基礎構造をあきらかにした。今宵、この場に集った、嵐虎之介、カミカゼ、大門大吾、タイガーマスク、少なくとも、この四人の男は、戦わずにはおれない人々なのだった。鍛え上げた肉体が発する無意識の闘争本能を、前頭葉の理性は制御しきれない。若月ルリ子には理解できない領域である。老人としての分別を身につけたつもりの嵐先生にしたって、茶の相手をさせるためにカミカゼを呼んだのではない。ただのプロレスラーならいざ知らず、自分と同じ匂いを持つ男に、やはり本能がうづいた。この後、嵐先生は、カミカゼを道場に誘う。友情だけではなく、闘争本能に因っていたとしたら、危険を冒してまで伊達直人を陰で助け続けた大門大吾の謎の行動にも説明がつくのだ。
しかし、大門も直人も、自分と人生をそこまで単純化できるまでには至っていないようだ。世界のみなしごのしあわせのために虎の穴と戦うなどということをテーマに掲げなければ、納得できない。直人は、ハンス・ストライザーの身柄を確保しながら、虎の穴に殺させたことを悔やんでいる。カミカゼとの試合で全力を出し切れなかった理由は、ハンスの死が心に引っかかっていたからだった。大門は、リングに立って、お前を助けてやりたいが、そうすれば、同じみなしご出身の虎の穴同門がリング上で殺し合いを繰り返すことは見えていると言う。直人が、立たなくてもよいと言えば、大門は立ちたいと言い、直人が立ってくれたら心強いと言うと、大門はそれは出来ないと言う。堂々巡りの会話が続くしかない。
夜風の中を歩くこの回のラストシーンは大門のリング復帰を予感させる。それと、二人の会話の中で、ハンスを若いレスラーと言っていたことが気になる。ハンスを若者として哀れむには、年齢を重ねていなくてはならない。なお、カミカゼは「タイガー君」とよび、タイガーは「カミカゼさん」とよんでいる。嵐先生は「カミカゼくん」だ。カミカゼの声は、小林清志。「大魔王シャザーン」のシャザーン、「妖怪人間ベム」で主人公ベムを演じた実力派人気声優がカミカゼの声にキャスティングされていた。
前段で、嵐虎之介、カミカゼ、大門大吾、タイガーマスクを戦わずにはいられない人達と書いた。この四人に、さらに共通項を見るなら、その格闘技で人を殺しているということだ。嵐虎之介の殺人場面は描かれたことが無いが、この世代の武道家は、軍に徴用されて特殊任務についた。粋人の面を被っているが、嵐虎之介、断じて平和な男ではない。以前、スター・アポロンの訪問を受けたときも、スターが、備前長船を抜いた瞬間、即戦闘モードに切り替わった。刀で斬り掛かられたら、どう対処すべきか、そんなことを毎日毎日考えて生きているのだ。戦争は、血気盛んな嵐虎之介にとって合法的に殺人ができる場面だった。武道家ではないが、川上哲治は、招集されて戦場に身を置きながら、バッターボックスに立って、集中力を鍛える訓練のつもりでいたという。この人も鬼だが、嵐虎之介は、御国のためとか求道のためとかというより、試し斬りのつもりだったかも知れない。
第71話「危うし!!タイガー」この回登場のキングジャガーは、カネのためにプロレスをするのだと広言を吐く。友情とか正義などという不安定なものを信じない。まして、求道のためなどと愚かなことも言わない。目的はカネを稼ぐこと。万人に理解を得られる、この単純な理由こそ現実的で正しい。高級車で薄汚い貧乏人どもを蹴散らして走ることが人生の目的だったとも言う。日本人が聞けば、精神の歪んだ人間に思えるが、ジャガーのマスクを被ったキングジャガーこと、タイ人チャキル・ランパファこそ、かつて高級車に蹴散らされた薄汚い貧乏人だったのだ。タイの子供が、人がましい生活にありつこうとするなら、僧侶になるかムエタイ選手になるしかない。女の子は娼婦になる。ムエタイの練習をしていたとき、ミスターXにスカウトされた。プロレスラーになれば、大金が稼げると聞かされ、喜んで応じた。過酷な特訓も、大金持ちになるという目標で耐え切った。その明快な目的意識は、盤石不易のものかと思われたが、虎の穴からすれば、わかりやすいだけに使いやすかった。イエローデビルより先にタイガーマスクのタイトル挑戦者に選ばれたキングジャガーは大喜びするが、虎の穴の本心は、エース候補イエローデビルの温存だった。彼もまた、体制に利用される哀しい若者に過ぎなかった。
自信過剰のキングジャガーを全面的に信用していない虎の穴は、ザ・ミラクルズをセコンドにつけた。チャンスを見つけて三人がかりでタイガーマスクを殺せと密命を受けている。いままでは、スパイレスラーという特別な待遇にあったが、この作戦に失敗すれば、死か強制労働である。この前のナチスユンケルではハラハラさせられたミスターXも、今回は安心して観ていられるというものだ。しかし、計算は狂う。キングジャガーが、思いのほか腑甲斐なかった。こうなったらミラクルズはなりふりかまわず乱入して、タイガーマスクを殺しにかかる。ミラクルズの手に凶器が光った次の瞬間。客席にいた大門大吾が、リングにおどりあがった!
実は、この展開、アントニオ猪木の日本プロレス復帰劇と同じ構成なのだ。日本プロレス協会をとびだして、豊登と東京プロレスを旗揚げしたが、この新団体は興行不振で解散した。プロレスに別れを告げるため、見納めにしようと思った猪木は、第9回ワールドリーグ戦最終日の観客席にいた。リングの上では、ジャイアント馬場が、ビル・ワットとターザン・タイラーに二人がかりの反則攻撃を受け血まみれになっている。見かねた猪木は、私服のままリングに駆け上がり、馬場を助ける。大ピンチを助けられた馬場は、猪木に礼を言い、両雄はガッチリ握手。こうして、アントニオ猪木の復帰は成立した。もちろん、アニメや漫画ならともかく、実際の社会でこんなことがあろうはずもなく、自民党議員川島正次郎コミッショナーが間に入って、猪木に頭を下げさせ仕組んだ芝居だった。外人組も協力者だったことは言うまでもない。
第72話「ミスター不動登場」脚本辻真先。ミスター不動で再登場した大門大吾の、シングルマッチと、タイガーと組んでのタッグマッチを描く。しかし、大門大吾がまたミスター不動なのかが解せない。かりに説明されても、間違っているとしか言い様がない。第18話において、大門はミスター不動としてタイガーマスクと戦い、その不動明王の仮面を割られて素顔がテレビカメラにとらえられた。そして、前回では、派手にリングに上がって、全国ネットで放送されている。プロレスファンが推測すれば、ミスター不動の正体は、その男に決まっているのだ。大門大吾が日本プロレス協会に所属し、再デビューをするなら、別の覆面を被らなければならない。
ただ、アニメ版「タイガーマスク」において、唯一の独創的な覆面レスラーがミスター不動である。キング、ブラック、ビッグ、グレート等は、タイガーマスクのバリエーションである。嵐虎之介に入門し悟るところがあり、不動明王の仮面を選んだとしたら妙に納得がいく。その場合は、初対戦時のマスクが違うものでなければならなかった。 次ページ→