第87話「虎狩り計画」ガボテンが警察に保護されたという電話が掛かってきて、ちびっこハウスに一騒動が起こる話。学校に遅刻しそうになって、行くのがいやになり知らない電車に乗ってしまったのだった。この回は、また、次なる強敵デビルスパイダー編のプロローグ。虎の穴のボス自らがニューヨークまで出向き、デビルスパイダーを視察する。出自の多様な雇われ覆面レスラー達にも興味がそそられるのだが、もうボスしかいないという底の見えた虎の穴には、一抹の寂しさを感じる。今回のタイガーマスクの対戦相手は、アキラ・ローゼ。架空の人物だが、日本人相手に適当にやって負け、金だけもらって帰ろうという現実的な性格のレスラー。プロレスビジネスの実態をあばくような危ないキャラクターだとも見れる。脚本は柴田夏余。柴田の次回作「無冠の王者」の伏線か?
第88話「炎の死刑台」ボスがデビルスパイダーをスカウトしようとしていることを知り、焦るミスターXは、またも殺し屋チームを使っての伊達直人暗殺計画を立てる。今回は、若月ルリ子の誕生日プレゼントを買うためにデパートへ行く直人を都会の雑踏の中で狙う趣向。前回は健太の風邪見舞いだった。誕生日や風邪が伊達直人を死の危機にいざなうきっかけとすることは、酷な負担ではないか。そもそも、虎の穴と対決しなくてはならなくなった原因がちびっこハウスの借金だったのだ。この回は最後までプロレス場面が無い。脚本は、やはり辻真先。
第89話「ヨシ坊の幸福」島津という息子を亡くした夫婦がヨシ坊を気に入り、養子にしたいと申し出て来た。ミクロのように親戚に引き取られるのではなく、今回はまったく他人というケース。養子がほしいと言うくらいだから島津家は経済的に余裕がある。しかし、小学五年生になっているヨシ坊は、迷い、悩む。「タイガーマスク」スタート時点からの作品的特長であった、公害、戦争、人種などの社会的テーマを題材にした話は、7クール以降は見られなくなる。目を引くのは、ミスターXの暗殺計画と、ちびっこハウスのみなしごの話。その中心になるのが、なぜか、このヨシ坊なのだ。
第90話「無冠の王者」レスリングは金のためにするのではないと言う異色のキャラクター、ザ・ミシガニアン登場。一流の実力者でありながらベルトを巻いていないのは、他人が作った権威で身を飾りたくないという信念を持っているからだ。プロレス界の実態としてタイトルへの挑戦権を得るには、実力とは別に、幾許かの献納金を用意しなければならない。また、レスラーはチャンピオンベルトを巻くことで高いファイトマネーを取ることが出来る。ザ・ミシガニアンは、そんなプロレスビジネスの慣習を否定する。頑固一徹。一度だけ試合をしたスター・アポロンだけを認めて、親友と思い込んでいる。今回の見どころは、タイガーマスクとの試合よりも、なぜかアメリカ北部のテリトリーから出ようとしないザ・ミシガニアンを日本に連れてくるまでのミスターXのかけひき。『やつは、うそをついている。この世の中に金のいらない人間などいない』これがXの信念である。Xはザ・ミシガニアンを潔癖とも変人とも見ず、うそつきの芝居と断じている。キャラクターデザインを当時の人気俳優チャールズ・ブロンソンにとり、声を一級の実力者森山周一郎が演じた。さわやかなスポーツディレッタントというより、泥くさく渋い印象の男になった。分類するなら虎の穴やとわれレスラーの一人なのだが、この後に登場するデビルスパイダー、ザ・ピラニアンに比べるとイメージは小粒である。怪物の仮面をつけて極悪レスラーとして生きる道を選ばざるをえなかった男どもの人生の方が、やはり凄まじい。
第91話「悪魔の蜘蛛の巣」タイガーマスクとデビルスパイダーの覆面世界タイトルマッチ。試合形式は地上10メートルの高さに張られたネットの上で戦うスパイダーネストデスマッチ。原作漫画との違いだけ記しておく。原作では、自費で来日してきた挑戦者だったが、アニメ版では、虎の穴のボスに見込まれたやとわれレスラーとして挑戦する。第87話に初登場したときは、茶色のコスチュームだったのだが、今回はジョロウグモを想起させる黄色と黒の横縞模様に勝手に変更している。スポンサー中島製作所のソフビ商品は紫色。現在ならば、違約金が発生する。第7クールの最終話でもある。対戦前にボスが、ミスターX相手に自分がプロレスラーであった過去を話し、覆面を準備して観客席最前列に座る。この回は視聴者に、ミスターXの立場になってこの試合を観戦させる作り方がなされていた。ボスがやとったデビルスパイダーが、もしタイガーを始末したとしたら、自分の存在場所が無くなるのだ。口には出せないが、ここはタイガーに勝ってもらわなくてはならない。丸顔に複眼と触角を配したデビルスパイダーの顔が仮面ライダーに見える。この回が放送されたのは昭和46年6月3日で、すでに「仮面ライダー」は始まっているが、漫画として発表されたのはデビルスパイダーが先である。
第92話「疑惑の怪人」開巻、台風が日本列島に接近中というニュースが読まれる。空は曇り、風が強くなってきた。破滅を予感させる心理描写が随所に見られる。ミラクル3登場。原作漫画に登場する虎の穴レスラー。力、技、反則、プロレスに必要な三つの要素について全て超一流という究極の選手。実は、三人の人間に同じコスチュームとマスクを着けさせて試合中に上手く入れ替わっていた。当時の読者の反応はわからないが、現在の感覚では陳腐なトリックである。アニメ版では、これをボスの仮の姿として登場させる。ボスはミスターXに命じて、日本プロレス協会にミラクル3を売り込ませた。タイガーマスクに挑戦させるのではなく、格安のファイトマネーで外人レスラーとだけ戦うという条件。ミラクル3は、タフガイ、ビル・バッファローをおもちゃのように扱いその力を誇示した。虎の穴は実質的に終っている。最終クール。タイガーマスクとボス、この二人の戦いに向って物語は収束に向う。そして、ミスターX、若月ルリ子とちびっこハウスの面々、レギュラーキャラクターの運命が決まる。
第93話「今日の命を」ミラクル3は、ビル・バッファローの師匠キラー・カール・ポップスと対戦し、超怪力を見せつけた。まだ反則技は使っていないので、瞬く間に日本のプロレスファンに大人気になった。もちろん、ボスはあいかわらず冷静で、タイガーマスクの分析に余念が無い。完全に自信が持てるまで挑戦は表明しないと言う。真意の読めないミスターXは狼狽するばかりである。そして、ザ・ピラニアンをタイガーマスクにあててみると言い出した。今回は、ザ・ピラニアン編の序章なのだ。ただし、ピラニアンが、デビルスパイダーのように必殺の刺客ではなく、タイガー研究の資料収集を前提とする噛ませ犬であることが哀しい。ちびっこハウス側のエピソードとしては、子供仲間に「いくら勉強が出来ても、みなしごは出世できない」と言われた健太が落胆する。高岡拳太郎がタイガーマスクのもとに連れていく。「辛い時、苦しい時は、なにくそってがんばるんだ」とタイガーにさとされた健太は「そうしたら、みなしごだって偉くなれるんだね」と元気を取り戻す。これは健太の精神的成長を描いているのではなく、タイガーマスクがプロレスを続ける意義を再確認する手法に過ぎないのだが、製作する大人の側は、観ている子供の意識がわかっていない。大人としては、平均的な社会人に育ってくれたらそれ以上言うことはないのだが、男子視聴者は、この頃すでに虎の穴の死の特訓に耐えてタイガーマスクになる覚悟をかためていた。俗世での出世も社会的地位も考えていない。男は強ければそれでいいのだ。健太、君こそ、何故タイガーマスクを目指さないのか!
第94話「身替りの虎」ちびっこハウスの連中を連れて遊びに行ったら、ヨシ坊が川で溺れる。救助して蘇生術をほどこしているうちに時間がたち、試合時間に間に合わなくなってしまった。急遽、高岡拳太郎がタイガーマスクを被って代役をつとめる話。昼間の伊達直人の身辺に起きた事件が長引き、夜の試合開始時間が迫ってくるというタイムサスペンス風のパターンは、ここまでに何度も使われた。本当に間に合わなくなったのは今回が初めてなのだが、プロレスラー以外の人に、就中、対象視聴者の子供に欠場の責任の重さが理解できるのだろうか。もともと二代目にするつもりで設定された高岡拳太郎のタイガーマスクがこういう形で実現する。遅刻の解決策としては安直なのだが、ミラクル3だけが、身替わりタイガーの正体を見抜き、高岡拳太郎を処刑の標的に決める。この回は、終結に待つ悲劇の予兆として意味を残した。
第95話「ザ・ピラニアン」この回は、まったく怪奇ドラマ調の演出で始まる。プールデスマッチ用の特設リングの作業員の目の前に金属工具が落ちてきたり、黒猫が鳴いたりする。演出の新田吉方、作画監督の我妻宏は、同時期の東映動画作品「ゲゲゲの鬼太郎」も担当していた。ザ・ピラニアンの外見は、ここまでに登場した覆面レスラー中で最も異形である。全身が緑色の鱗で覆われ、首が無く、魚類の顔が載っている。ルリ子が「ピラニアのような人」と言わなければ、人であることを忘れてしまいそうな怪物なのだ。原作漫画では、NWAがタイガーマスクの覆面世界タイトルを認定した後、一番先に挑戦してくるフリーのレスラー。アニメでは、この最終回間際にボスの研究材料としてタイガーマスクにぶつけられる虎の穴のレスラー。試合中に『タイガーを倒せば、虎の穴も俺を認めてくれるだろう』というモノローグをはくような組織の傍流に忘れられた哀愁のある男になっている。プールの中に本物のピラニア群を放つアイデアは原作を踏襲している。怪人レスラーとデスマッチのアイデアで、アニメ側は梶原一騎の発想を超えられない。ところで、ピラニアと言われても、当時の日本人にとっては馴染みが薄かった。ちびっこハウスの子供らが図鑑でしらべて視聴者への説明も兼ねる、親切かつ不自然な場面がある。もしかすると、現在の日本人がピラニアの存在と生態を常識として知っているのは、このザ・ピラニアンによってではないか?アニメ、特撮を通じて、ピラニアをモチーフにしたキャラクターでザ・ピラニアン以上のものはない。「仮面ライダー」にピラザウルス、アマゾニアというピラニアから発想された怪人が登場した。卓越したデザインで評価を受けるショッカー怪人群は、実に「ゲゲゲの鬼太郎」の妖怪+虎の穴レスラーだったのだ。
第96話「虎の正体?」柴田夏余の脚本で、やはりちびっこハウスが主な舞台。遊びに来た伊達直人が巻いていた包帯と絆創膏の位置がピラニアンに噛まれたタイガーマスクと同じであることに気付いた健太が、直人こそタイガーではないかと疑い、車のトランクに潜りこんだりと、探偵活動を開始する。ヨシ坊の通告によって健太の動きを知ったルリ子と直人が無言のまま結束して、うまくごまかすように仕向け騒動は納まった。健太はあいかわらず成長を見せず、基本設定は動かなかった。今回のポイントは、伊達直人はともかくとして、なぜ若月ルリ子までがタイガーマスクの正体を隠蔽する必要があるかということだ。じつに、そのことが公然となったとき、ルリ子は重大な決断をし行動を起こさなければならなくなる。その行動を起こさなければ、伊達直人はルリ子の前から永久に去ってしまうことになるだろう。いまのルリ子には、その決断をする勇気がまだ無い。
第97話「敗北の予感」悪役外人レスラーを相手に華麗な技で圧勝を続けるミラクル3はプロレスファンに絶賛されている。タイガーは自分とミラクル3の戦いのパターンを幾通りかシュミレーションしてみるのだが、勝機が見出せず不安に陥る。見所は、レッグスプリット、スタンディングクラッチ等のプロレステクニックが綿密に動画で再現されていることで、「タイガーマスク」がプロレスアニメの決定版であったことを再認識させられる。そして、以後プロレスアニメが製作されなかったことを思うと、文字通り他の追随を許さなかったとも言える。
第98話「捨て身の虎」力でかなわず、技でおよばず、ならば残された戦法は反則か?しかし、相手も虎の穴のレスラー。リングにまたも血の地獄を再現するような結果になってしまう。前回は試合場面が無かったが、この回ではサイクロン・ガストンと戦う。サイクロン・ガストンは原作にも登場するレスラー。原作漫画でのタイガーマスクはミラクル3と一度対戦して負け、覆面タイトルを奪われたうえに、引退まで決意する。サイクロン・ガストンはタイガーマスクの復帰第一戦の相手として登場する。波乱の展開を見せる原作漫画にくらべて、テレビアニメ版は物語が全く動かない。ミラクル3戦をシュミレーションして悩むタイガーと同じように、スタッフも最終回をどうするか迷っていたようだ。
第99話「狼よ血に吠えろ!」この回登場するローンウルフが、最後の覆面レスラー。テレビ版のオリジナルキャラクターで虎の穴の卒業生。高岡拳太郎の後輩で、カナダの山中で狼に育てられた少年だったという。ここで一つの判定が出る。架空レスラーの発想については、テレビアニメ版は原作漫画に及ばなかった。狼に育てられた人間の話は、誰もが知っている。梶原一騎は、それではつまらないと、ゴリラマンというゴリラに育てられたレスラーを想像した。桁外れの巨体で人語も解せなかった。ローンウルフも噛みつきや引っ掻き攻撃をしてくる野生児だが、人間と会話ができるし、車の運転までする。キャラクターとしてあきらかにスケールダウンしている。ゴリラマンの強烈な個性が記憶にあるので印象が弱い。シリーズ全体の流れから見ても、ブラックパンサー以降の虎の穴卒業生は、合理的なレスリングを身につけて挑戦してこなければならないはずだ。脚本は近藤正。ユニバーサルマスク、ジキルアンドハイド、デビルスパイダー、ピラニアンと原作漫画に登場するユニークなレスラーの活躍を書いてきた後で、自身初のオリジナルレスラーがローンウルフだったのはおそまつとしか言い様がない。ところで、このローンウルフにとどめを刺した技は、相手の突進を逆用してリング下に逆落としにするというもの。原作を読んできた人なら、これが最後の必殺技タイガーVに発展するのだろうと予測する。現状のタイガーの実力では勝てないボス=ミラクル3(=タイガー・ザ・グレート)を新必殺技で倒して大団円とすれば、子供番組としてわかりやすい最終回であった。しかし、アニメ側スタッフは、その安易な道を選ばない。
第100話「明日を切り開け」ヨシ坊の両親が引き取りにくる話。ヨシ坊の母親は、あまりの暮らしの貧しさに耐えきれず家を出ていってしまった。父親はタクシーの運転手だが子供を育てることができず、幼いヨシ坊をちびっこハウスの門前に捨てた。その後、復縁し、どうにか生活の目処が立ったということで、気がかりだったヨシ坊を迎えに来たのだ。事情はわかった。しかし、ヨシ坊は捨てられた事実について承服できない。いつのまにか弟まで出来ていた。陽気で屈託のない性質の少年だ。貧しいながらもこいつは、少なくとも捨てられることはなかったのだと考えると、やはり納得できない。ヨシ坊はちびっこハウスに残ることにした。ところが、両親の存在がはっきりした瞬間から、ほかのみなしごとは心が通わなくなってしまっていたのだ。こんな思いをしなくてはならないのなら、お父さんもお母さんも死んでいてくれたほうがよかったとヨシ坊は泣く。柴田夏余の脚本。ちびっこハウスのみなしごに焦点を当てた最後のエピソードが、ヨシ坊であって、健太ではなかった。作劇の都合上、ヨシ坊は佐々木良夫というフルネームまでつけられる。健太の苗字は不明のまま。柴田夏余をもってしても健太の基本設定に手をつけることは出来なかった。ヨシ坊はちびっこハウスを出ていく。
第101話「虎の穴の処刑」ミラクル3からの挑戦状は、まず高岡拳太郎に届いた。プロレスファンにとっては、待望のミラクル3対日本人レスラーの第一戦なのだが、虎の穴出身の拳太郎はその意味を知っている。自分自身が、かつては虎の穴の刺客としてタイガーマスクを狙ったのだ。目的はリング上での処刑だった。自分とミラクル3の実力差はわかっている。自らの命と引き替えにミラクル3の腕をへし折り、戦闘力を削減させておくこと。拳太郎の見るところでは、タイガーマスクですらミラクル3には勝てそうにないのだ。もう一人の恩人大門大吾の墓へ参り、死の決意をかためてミラクル3戦のリングに上がる。ここで、高岡拳太郎の決意も揺らぐほどの急展開が用意される。ミラクル3がタイガー・ザ・グレートに変身したのだ。視聴者も驚くとともに、その秀逸なデザインに感嘆させられる。短剣の突き刺さった骸骨の紋章をつけた白いタイガーマスクなのだ。なぶり殺しのような試合が始まる。力、技、反則すべてにおいて拳太郎を上回っている。しかも饒舌で心理を撹乱してくる。ちびっこハウスでテレビ観戦をしている高岡洋子の姿がはさまれるのも胸が痛む。それほどの感情移入をさせられるのだ。必然性があるならテレビアニメであっても残虐描写を厭わないという姿勢は正しい。最終5部作は、演出、脚本、作画監督が五つの班に分かれて渾身の仕事を見せる。この101話は演出及部保雄、脚本安藤豊弘、作画監督我妻宏(この人が続編「タイガーマスク二世」の総作画監督)。最後は、セコンドについていたタイガーが試合に割って入り、瀕死の拳太郎をグレートから奪い取って終る。
第102話「虎の穴の真相」タイガー・ザ・グレートによって重傷を負わされた高岡拳太郎の世話をするため若月ルリ子が病院へ行く。前半は、病室での二人の会話と回想によって、第一話からここまでの物語をたどり直す構成。ルリ子は、ここで初めて「虎の穴」の名を聞き、そして、タイガーマスクが伊達直人であることを拳太郎に確認した。さらに、ベッドから動けない拳太郎から、伊達直人の隠れ家を訊き出す。すなわち「クラウンホテル519号室」。ルリ子は病院でタイガーマスクを待ち伏せる。ちびっこハウスまで送るというタイガーの車の後部座席に乗り込むと、行き先を「クラウンホテル」に変更するよう要請した。部屋番号「519号室」まで指定され、ついに観念する。窓から夕陽が射し込む部屋。タイガーはルリ子の前で、マスクを脱ぐ。抱きつくルリ子。赤き死の仮面戦の前はここまでだったが、今回の伊達直人はルリ子の背中に手をまわす。タイガー・ザ・グレートと戦えば最愛の人は死ぬ。若月ルリ子は全てをかけて、この試合を阻止しなければならないと思った。タイガー・ザ・グレートを取るか、若月ルリ子を取るか、伊達直人に迷いは無い。ルリ子にちびっこハウスへ帰れと命じた。演出田宮武(「タイガーマスク二世」ではプロデューサー)、脚本柴田夏余、作画監督野田卓男。帰れと言われて、よろよろと歩み出すルリ子なのだが、この場面は子供の立場で見ると怖い。若月ルリ子はちびっこハウスのみなしごを捨ててでも伊達直人を取るつもりでいたのだ。
第103話「あがく虎の穴」クラウンホテル519号室で伊達直人がタイガーマスクを脱ぐ場面から始まり、一夜明けて翌日のことが描かれる。タイガー・ザ・グレート戦の前日である。若月ルリ子はなおも、あがく。クラウンホテルに電話して明日の試合をやめさせようというのだ。しかし。フロントの返事では、タイガーマスクさんは、部屋を引き払ったという。定宿であるクラウンホテルを出る理由は、若月ルリ子の追跡を断ち切ることしかない。愕然となるルリ子。
演出新田義方、脚本辻真先、作画監督森利夫。この回の後半はミスターXの最期が描かれる。殺し屋チームを指揮して、伊達直人の暗殺を決行しようとする。宿を替えた直人は、大門大吾の墓へ参る。そこには手を合わせている嵐虎之介がいた。虎の穴の殺し屋に監視されていることに感づきながら平然としている二人の場面。ついにタイガーマスクも達人と肩を並べる域に到達したことをあらわしている。ボスはタイガーマスク戦を決心した。その前日にタイガーを殺したところでXが褒められるとも思えない。もう保身のためではなく意地である。虎の穴ナンバー1マネージャーのコースを狂わせたタイガーマスクを殺すことが、いつのまにか目的そのものになっていたのだ。車で轢き殺そうとしてタイガーマスクを追いかけたXは、建設中のビルの基礎工事の穴に落下。その上に、やはりタイガーを圧殺するために用意したロードローラーが落ちて来る。残酷極まりない最期だった。演出ではタイガーマスクは逃げ回っていただけ。タイガーマスクの能力をもってすれば、Xと殺し屋チームを返り討ちにすることも可能だと思えるが、子供番組の主人公にあからさまに殺人はさせない。また、Xにとってはタイガー打倒が目的であったが、タイガーは憎んで余りあるXに対して、一切その技を使わなかった。虎の穴を壊滅させることが目的ならば、Xを殺さなければならない。それならば、タイガーマスクの目的は何か?そして、誰のために戦おうとしているのか?ミスターXのためでもなかった。若月ルリ子のためでもなかった。タイガー・ザ・グレート。プロレスラーとして、その最強の男に挑むためか?梶原一騎の作品の男たちは、いつでも、自分より強い男の存在を許さず、挑みかかることに生き甲斐を感じていた。最終回。タイガーマスクが戦ってきた理由があきらかになる。
第104話「血戦!虎の穴」大地が割れ、タイガーマスクがのみ込まれる悪夢の場面から始まる。壮大な心理描写もまた「タイガーマスク」の特徴であり、プロレスのイメージを無辺に拡げることに成功していた。しかし、目を覚ました伊達直人は晴れやかな顔をしている。死を覚悟し、そして、さらにその先の境地に至ったのだ。いまのタイガーならば、あるいはタイガー・ザ・グレートでも破ることが出来るのではないかと、我々は期待する。まさに、全ての視聴者と劇中登場人物がタイガーマスクを応援している。かたや、タイガー・ザ・グレートは一人だった。あてにしていなかったミスターXすら死んだ。運命のゴングが鳴った。しかし、タイガー・ザ・グレートは圧倒的に強かった。精一杯のタイガーマスクに対して、グレートは余裕を感じさせながら戦っている。必殺技ウルトラタイガーブリーカーにもわざとかかってやり、腕の力だけで自分の加速度を支えるというオリンピックアスリート並の離れ業で破って見せる。その後は一方的だった。薄笑いとともに攻めるグレートに対して、次第に赤い血に染まっていくタイガーマスク。ロープに首をはさまれ絶体絶命のシーンで、次回に続く。演出蕪木登喜司、脚本近藤正、作画監督白土武。
最終話「去り行く虎」。タイガー・ザ・グレートとタイガーマスクの血戦は続く。ジャイアント馬場は解説席に座っているが、もはや言葉は出ず、ただ祈るように凝視するだけ。猪木もリングサイドまで出て来るが、試合であるたてまえ、リングに上がることは出来ない。高岡拳太郎は病室で悔し涙にむせぶ。ルリ子は、初めこそ健太らの後ろでテレビをのぞいていたが、途中から見ていられなくなった。そして、ついに、タイガーのマスクが剥がされる。部屋の外にいるルリ子の耳にみなしごらが驚き騒ぐ声が聞こえる。「キザ兄ちゃん!」「まちがいないよ!」すべてが終った。ここで、場面は嵐邸に移る。やはり、テレビ観戦していた嵐虎之介が断じた。「この勝負。終ったも同然」まさしく!ここからは、伊達直人の反撃が始まる。狂ったような反則に次ぐ反則攻撃、タイガー・ザ・グレートに応酬のいとますら与えず攻め続ける。馬場と猪木が制止に上がったが、伊達直人はそれをはねのけ、窒息させたグレートにパイルドライバー。その上に天井照明を落としてとどめを刺した。伊達直人は勝った。しかし、テレビを見ていた子供らに爽快感はなく、気持ちの整理が出来ない。あのやさしいキザ兄ちゃんが、悪魔に変って、あるいは悪魔の本性を見せて、人を殺したのだ。その時、ルリ子は……庭のブランコを漕ぎながら「ゴンドラの唄」を口ずさんでいた。「命みぢかしこひせよをとめ 朱きくちびるあせぬ間に……」もちろん、黒澤明の映画「生きる」の志村喬の名場面からとったのだが、この歌は、「タイガーマスク」の最終回で若月ルリ子に歌われるためにあったのだと筆者には思える。演出勝間田倶治、脚本安藤豊弘、作画監督小松原一男。
タイガーマスクは誰のために戦っていたのか。それは健太である。血に染まって破られたマスクをタイガー・ザ・グレートに投げつけたときに叫んだ。「虎の穴にもらったものを叩き返してやる。それで俺は伊達直人に帰るのだ」伊達直人の云う「伊達直人」とはキザ兄ちゃんのことだった。演じていた偽りの姿だったが、理想とし本心から望んでいた人間像だったのだ。そのためには、虎の穴に連れていかれる前の伊達直人に帰らなければならない。それが健太だった。原作漫画では、チィ坊という明朗で素直な子供が設定され、この男の子が、ちびっこハウス側(ひいては読者側)の代表者だったが、ブラックパイソン編から登場したひねくれた問題児の健太がチィ坊にとって代わる。健太でなくてはならなかった。健太こそあの日の伊達直人だった。ゆえに成長することもなく変節することもなく、タイガーマスクが打倒虎の穴の宿願を果たすまで、同じ場所に立っていたのだ。
原作漫画に戻る。ボボ・ブラジル、ブラックV編に大岩鉄平というキャラクターが登場する。ちびっこハウス出身で運送会社に就職したが、差別的待遇に辛抱できず辞めてしまった。みなしごだったという理由で、お金や物がなくなると必ず大岩が疑われるというのだ。ついては、ちびっこハウスの先輩で大金持ちの伊達直人の顔のひろさを頼って就職先を世話してほしいと頼みにきた。強敵ブラックVの攻略特訓でそれどころではない直人は返事を保留した。すると、肉体にだけは自負がある大岩は、日本プロレス協会の前にすわり込みをして入門してしまう。そして、伊達直人と同一人物とは知らないままタイガーマスクの付き人となって、以降レギュラーにおさまる。弟子を取る立場になったタイガーマスクの成長を顕わしたのだと解釈できる。また、梶原一騎はめぐまれない勤労青年の姿を描くことに同時代を生きる表現者として使命感を常に持っていた作家でもあった。ただ、大岩鉄平には魅力が無い。リアリティーが欠落しているのだ。まず、日本の運送会社において、その出自が孤児だからといって制度としてもメンタリティーとしても差別待遇を受けることはない。作家側の意図としては読者を大岩に同情させ、付き人の視点から作品世界に引き込もうとしたのだろうが、大岩の語る体験談が虚構であるため感情移入ができない。大岩はタイガーマスクにしごかれ、プロレスラーを目指すのだが応援できない。このキャラクターを無視したくなる、もう一つの理由がある。ルリ子の紹介では、大岩がちびっこハウスに入所したのは、伊達直人が動物園で行方不明になったちょっと後だとなっている。中学卒業までちびっこハウスにいて、運送会社に就職したという経緯はタイガーマスク読者にとってはありえないことなのだ。動物園は、ちびっこハウスではなく「ちびっこホーム」最後の遠足であって、この後、閉院し、再開するまでに何年かの空白期間がなくてはならない。アニメ版では弟分的なこの役目を高岡拳太郎が担う。
原作ではブラックVに勝った後、NWAがタイガーマスクを覆面世界チャンピオンに認める。そして、覆面王座防衛戦シリーズが始まる。ザ・コンビクト、ピラニアン、デビルスパイダー、ジキル・アンド・ハイド、ゴルゴダクロス、バイキングキッド、ユニバーサルマスク等個性豊かな覆面レスラー達と大流血の変則デスマッチを繰り広げた。そして、最強の敵は虎の穴の秘密兵器ミラクル3。力、技、反則の三大プロレス要素において超一級という選手。タイガーマスクはこれと一度対戦して破れ、チャンピオンベルトを奪われる。温泉で湯治をしながら引退まで考えたのだが、思い直して秘密特訓を再開し、新必殺技タイガーVでタイトルを奪還する。ミラクル3の秘密は3人の男に同じコスチュームを着せて一人のレスラーを演じさせていたのだ。アニメではこのトリックを非現実的と思ったのか、あるいは面白くないと判断したのか、ミラクル3をタイガー・ザ・グレートの假の姿として使うにとどめた。また、タイガーVについてはとうとう出さなかった。第6話以降子供番組の教育的性質上否定してきた反則技を、最終回105話で解放し、グレートを殺すという衝撃的なラストにした。反則技の解放はマスクを剥がされたときから始まる。つまり、黄色い悪魔タイガーマスク実はやさしい伊達直人として造型したキャラクターを、フェアプレイのタイガーマスクが残酷な伊達直人の正体をあらわすという図式にした。男の最後の戦いをつきつめたら覆面もルールも無用となってしまったのだろう。
タイガーV完成に至る特訓方法は、土を盛ってジャンプ台を作り、大岩鉄平が運転する車を飛ばす。その下でタイガーマスクはブリッジの体勢で待ち、タイミングよく後輪をつかんで逆落としにするというもの。梶原一騎の原作原稿を読んだ辻なおきは困って電話をした。人間が両手をひろげても自動車の両後輪を同時につかむのは不可能なのだ。梶原の返答は「辻先生の画力でなんとかしてください」だった。この作品について、もはや梶原はリアリティーを放棄しているのかと思うと、タイガーマスクとザ・コンビクトのタイトルマッチの背景となる第12回ワールドリーグの経過と結果は現実に則するものになっていたりする。 次ページ→
追記 この項で、日本社会において孤児という出自を理由に差別されることはないと書いた。しかし、それは筆者の不勉強無知であった。差別はあったのだ。孤児に対する差別は切実な問題であると「タイガーマスク」は訴えたのだ。長期間にわたる戦争が終結したとき、両親を失った子供の数は100万人を超えていた。救済の手を差し伸べられなかった者はグループを作る。地下道や公園で不潔な暮らしをした。生きる手段は窃盗しかなかった。多くの人が彼らによる被害を受けたことだろう。大人ですら今日明日の生計が立たなかった時代である。孤児とは汚い浮浪児であり、泥棒と同義語であると、この経緯と記憶からそう印象づけられた。まして、運送会社は客の荷物財産を委託される業務である。信用の上においてみなしごが警戒されたことは当然といえる。
もちろん、後の時代の者に、孤児を差別した会社を、窃盗の常習者だった浮浪児を糾弾する権利は無い。苦い過去の上に現代があるのだ。筆者は現代の感覚から過去の作品を指弾する誤りをおかしてしまった。しかし、それは日本社会にも筆者の心情にもみなしごへの蔑視が無いからにほかならない。そして、差別や蔑視を日本から払底させた功績は「タイガーマスク」にあるのではないか?現代の感覚で読むと作品中で語られるみなしごへの差別が理解できなくなったこと、これこそがタイガーマスクの願いではなかったのか?タイガーマスクはテーマを掲げた戦いに勝利したのだ!これは弁解にあらず。